柏原さんの日常

おるたなてぃぶな生活を

詩⑧

1999 年に世界が終わりました。
それはとてもゆるやかに、かろやかに、
そしてやさしく


みんなそれに気づかないまま
ゆるやかに、かろやかに生きている
よく澄んだ10 月に夏が終わりました
それはとてもしぶとく、あざとく、
そしてあっさりと
キンモクセイのかおりが私の奥を
削り取っていく


なんでみんな笑っているの?
なんでそんなに平気なの?
なんでみんな気づかないの?
なんで、なんでと繰り返すうち
私は遠い果ての国
あるいは氷の上の墓標
明るく笑う女の子
頬を少し赤らめて
光の先へ、幸福と
行かないで
往かないで
逝かないで


残響が浸透する
明日はもうない
縋る過去の愛
酔いしれた哀
私が染まったのは藍
彼方にいるあなたへ……

最近のことについて

 7月が終わり、8月に突入しましたね。今年も相変わらず異常な暑さに身も心もやられそうですが、何とか生きています。

 最近嬉しいことが色々あったので、自分の気持ちの整理とか、記録として、この記事にまとめたいと思います。

 まず、このブログ、「柏原さんの日常」の総アクセス数が1万を越えました。これもひとえに読んでくださってる方々のお陰です。感謝感謝です。

 日記的なこと、自分が思ってること、好きな本やゲームや音楽についてのこと、詩や小説など、様々なものを書いてきた、統一性というかテーマのないブログですが、毎記事読んでくれる方もいて、ありがたい限りです。

 たった1万と思うかもしれませんし、僕より人気のブログを書く人も、凄い文章を書く人も、大勢いるわけですが、やっぱり自分にとってこのブログは心の拠り所みたいなところもありますし、読んでくださるのはありがたいし、この1万アクセス越えというのは僕にとってとても嬉しいことなのです。

 高校生の頃からちょっとずつ書いてきたのが報われた気持ちです。少し飽き性なところがある自分が数年続けられて、100近くの記事を書いているってことは、なんやかんやこのブログが、文章を書くことが、思いの丈を綴ったり創作したりすることが、少なからず好きな証拠でもあると思います。

 ありがたいことに「柏原の文章好きだよ」と言ってくれる方もいて、褒められる度舞い上がってしまうのですが、やはりどこか拙い文章だなと自覚している面もあるので、今後も記事を書き続けて文章力に磨きをかけていければいいなと思います。頑張ります。

 それと次の報告は最近2回ほど、ポエトリーリーディングのライブを見に行ったのですが、それがとても面白かったという感想です。

 前の記事で詳しく書いておりますが、先輩がポエトリーリーディングやっているということで、それが気になって見に行ったのがきっかけでした。

 ポエトリーリーディングを初めて目の当たりにしたとき、詩1つで、言葉1つで、自分や世界を表現するのがとても新鮮で興味深いなと思いました。

 僕は詩については全く無知ですし、一応歌詞とか詩を書きますが、どれも拙く、詩の解釈についてもよく分かってませんが、ポエトリーリーディングの場で出会った詩人さんたちは、感覚的ですが素直に凄いなあと感じました。色んな詩があって、千差万別で、とても面白い表現だなと。

 詩を聞いてるうちに僕も実際にポエトリーリーディングやってみたいと思ったのでもしかしたらやるかもしれません。どうやら自由にオープンマイクとして参加出来る場もあるようなので、出てみようかななんて思ったり。

 次の報告はそのポエトリーリーディングを見に行くキッカケになった先輩と仲良くなれたことです。

 もともと地元が同じで音楽関係で知り合った他校の先輩で、音楽の趣味が合うなあと思ってたので高校のときから仲良くしたいと思ってたのですが、なかなか仲良くなるきっかけも、声をかける勇気もなかったので、そのまま特に遊びに行く〜とかもなく先輩は東京の大学に進学しました。

 その2年後僕も東京に出てきて、大学1年生のとき文芸雑誌を作ろうとして、SNSでは繋がってたのでその先輩から詩を提供してもらったのですが、そのなかばで、僕はうつ病になってしまって、文芸雑誌を作ることも無くなってしまいました。せっかく詩を書いてもらったのに、自分のせいでおじゃんになって、先輩に迷惑をかけてしまったことにとても罪悪感を感じていました。なので謝りたいと思いながらも、自分のことで手一杯だったのでなかなか謝罪することも出来ず、その3年後くらいの最近になって謝ったのですが、先輩は優しい器の広い方で「大丈夫だよ〜」と言ってくれました。そのうえ最近何度もあって交流を深め、数年越しに仲良くなれました。とても嬉しいことです。仲良くなりたい人と仲良くなれるのはやっぱり一番心にいいですね。仲良くなれただけでなく、色々と助けてももらっているので、これから少しづつでも恩返しできたらなと思います。

 そしてこれが最後の報告になるのですが、前の記事でも、Twitterでもご報告させていただいた通り、希望職種のインフラエンジニアの内定をいただけました。めちゃくちゃ嬉しいです。

 上京してきて、うつ病になってお金もなかったので大学中退して、自殺未遂を何度も繰り返し、去年だけでも2回も精神病院に入れられて、人生とか社会を俯瞰しながら惰性で生きて、ほぼ無職で生活して、でも正社員になって社会復帰しようと、唯一頑張った就活は8ヶ月も続いて、何社も落ち続け、なんとか先月内定をもらえました。やっぱり、何かひとつでも頑張るって大事なんだなあと痛感しました。めちゃくちゃ嬉しいです。

 10月から入社予定なので、それまでに準備として資格の勉強を頑張ってる最中ですが、入社まで残り2ヶ月間(アルバイトはしてますが)暇なので、これを読んでる友人各位はどんどん遊びに誘ってくれると喜びます。

 そんな感じでハッピーなことが最近たくさん訪れて、あんなに悲観してたのが嘘みたいに今生き生きと生活できてます。

 そして、今めちゃくちゃ創作意欲(特に小説)に溢れているので、このブログに小説今後もアップしていきたいと思います。

 こんなこと言うと綺麗事だの他人事だの思われるかもしれませんが、僕は(自分で言うのは少し違うかもしれませんが)なかなか辛い人生を歩んできましたし、特に成人してからひねくれて、悲観と俯瞰ばかりしてきましたが、まだまだ人生捨てたもんじゃないなとここ最近思います。きっとこれを読んでくださってる方々は各々に地獄があるかと思いますが、明日は今日よりも少しだけよくなると祈って生活していけば、何か変わるかもしれませんし、変わらなくても気の持ちようくらいはマシになるかもしれません。

 僕は今月で23ですが、まだまだ20代前半のガキです。これから辛いこと苦しいこと、悲しいこともあると思いますが、諦めるには早いと思うので頑張っていきたい所存です。

 そしてこのブログを読んでくれてる方々が少しでも幸せになるように祈ってます。君が幸せなら僕も幸せなので。

 それではまた!これからも「柏原さんの日常」をよろしくお願いします!

詩⑦

 ノストラダムスは言った

 1999年で世界は終わると

 だけど世界は何も変わらず

 僕は産声を上げた

 それから、世界は惰性のような平和を貪り

 僕らは、何も知らずに生活を続けた

 それから、20年経つと世界は少し変わっていった

 市街地を行き交う人は減り

 遠い国で銃声が轟いた

 僕らは憂鬱だった

 常に、毎日に、生活に

 

 1999年で世界が終わればよかった

 今日もどこかでペンギンたちが

 自由落下に夢を委ねる

 

 1999年で世界が終わればよかった

 薬の量ばかり増えていく

 中に一体何が入ってんだろう

 

 1999年で世界が終わればよかった

 神や仏や預言者に縋って、虚ろな夢だけ見ていたい

 でもそんなやる気もない、勇気もない

 

 1999年で世界が終わればよかった

 遠い戦場の子供たちは何を願うのだろう

 願うほど生活に余裕なんてないのかもしれない

 

 ああ、あの子は今どうしているだろう

 それなりに上手くやっていますか?

 生活は順調ですか?

 それなりに幸せですか?

 大人になって変わりましたか?

 

 ああ、昔の僕はどんな気持ちだっただろう

 それなりに上手くやってたでしょうか?

 生活は順調だったでしょうか?

 それなりに幸せだったでしょうか?

 大人になるなんて想像していましたか?

 

 2020年でも世界が終わることはなかった

 僕はペンギンのまま地べたを這いずり回る

 

 2020年でも世界が終わることはなかった

 薬だけが僕を救ってくれる

 

 2020年でも世界が終わることはなかった

 けれど悲しみが街にあふれている

 

 2020年でも世界が終わることはなかった

 ただ知らない場所で会ったことの無い人へ銃弾が放たれる

 

ああ、僕には僕の悲しみがあって

君には君の痛みがある

僕らはそれを共有できない

だって僕らはどれだけ近づいても孤独だから

けれど手を差し伸ばすことはできる

けれど手を差し出してくれる人がいる

それだけで充分じゃないか

それだけが救いじゃないか

 

1999年で世界が終わることはなかった

そして僕らは産声を上げた

 

 2020年でも世界が終わることはなかった

 悲しみ、痛み、苦しみ、戸惑い、悪意

 そんな憂鬱がはびこる今日にも

 おなじくらい優しさがある

 それだけで充分じゃないか

 それだけの現実でいいじゃないか

ライフル・ライフ

 【1】

 私にはライフルしかなかったし、血と硝煙の匂いだけが私を満たしてくれた。

 私の国N共和国は隣国のS帝国ともう2年近く戦争をしている。そして最前線の西部戦線に配属されてから3ヶ月以上が経っている。

 私の住んでる国、N共和国は自由と平等を近隣諸国のどこよりも推していて、数年前までは女性の私でも何不自由ない暮らしができた。しかし、隣国のS帝国が帝国主義政策を推進して、周りの国を侵略してから暮らしは変わった。

 N共和国を含め近隣諸国はS国の帝国主義政策に恐れをなし、同盟を組みそれに対抗してきた。だがS国の国力は日に日に増していき、経済的にも科学技術の発展においても、無論軍事力に至っても、今では他の追随を許さないほど国力を増強していた。

 戦争が始まって最初の方はN共和国も楽観視していたこともあり、女性の私が戦争に駆り出されることは無かったが、戦争が始まって1年経たないうちに、性別関係なく15歳以上の国民から義勇兵を募った。

 それほどまでにN共和国は追い詰められてたのだ。

 

 私は幼い頃からライフルが親友のようなものだった。

 私はN国の郊外から更に離れた村里で育った。そこはのどかな場所で酪農や狩りをして皆生計を立てていた。

 私は狩人の家に生まれたこともあって、幼い頃から共和国の旧式、いわゆるお下がりのライフル持って狩りをしていた。どうやら私には射撃の才能があったらしく、狩人の父からは良く褒められていた。

 その時から私は銃の虜になっていた。旧式ではあるものの文明の産物、そして自分より弱い動物を圧倒する、その銃という武器に私は惚れ込んでいた。ある日、村を訪れた軍人が少女だった私にこう言った。

 「子供なのに銃の魅力に取り憑かれてしまったか」と。

 今ならその軍人が言った言葉の意味が分かる。「子供心に取り付いた銃の魅力は悪魔のようにこれからの人生に影響を与えるだろう」と、そう考えていたのだろう。

 実際その通りだった。ライフルを持ったとき私は最低なほど強くなれたと思い、そして何より安心し、充実感を得るのだ。

 そして義勇兵募集の告知が出た時、まだ20歳にもなってなかった私はすぐに立候補した。

 その時の私はこう思っていたのだ。

 「私の銃で同じ人間を殺してみたい」と。

 残酷な思考だとは分かってた。でも、私は自分より弱い動物をいとも簡単に殺してしまうことに少しがっかりしてたのだ。

 私は女だから、兵士のような屈強な男を倒したいという願望もなかったわけではないが、自分と同じ人間を殺す感覚を得てみたかった。これが銃の魅力に取り憑かれた少女の末路だった。

 従軍試験の面接では10代の少女の顔を見た教官は、どこか哀しそうな表情をしたが、試験の一環だった実践的な射撃の試験で私の実力を見た教官は今までの不安感を拭ったかのように笑みをこぼした。

 そして私は軍人になったのだった。

 始めは私が女であることもあってか、後方での勤務だった。しかし私は前線を望んでた。このN共和国の最新式ライフルで早く人間を、敵国の兵士を撃ちたかった。たったそれだけだった。

 私には特に愛国心があるわけでもないし、戦争の結果にもこの国の未来にも、正直いってあまり興味がなかった。ただ私の心にあるのは銃に取り憑かれた、悪魔のような残酷でシンプルな感情だけだった。

 そして戦争が激化すると私と私が所属する部隊は最前線の一つである西部戦線に配属された。早くライフルから銃弾を放ちたいという私の欲求に反して最初は地味な仕事だった。塹壕を掘り続け、鉄条網を形成する、そんな作業ばかりだった。

 そしてある程度作業が完了すると、そこでは常に塹壕での生活が続いた。味気ない上に不衛生。流石に私も女なので嫌悪感を感じなかったとは言いきれないが、常に聞こえる銃声や砲撃の音は、私に戦場のしきたりを教えてくれるような気がして、早くライフルを使いたいという思いを強くさせた。

 塹壕戦というのは常に停滞と戦闘を繰り返す。

 そして私にもその戦闘の機会がようやく来た。

 それは突然だったが、指揮官の「全員構え!敵兵が突撃してくるぞ!」という指示が私の溜まりに溜まった衝動を解放させた。

 S帝国兵は砲撃の小競り合いが一区切りついたところで、一気に突撃してきた。

 こんな戦線で突撃とか、帝国部隊は何を考えてるのかと一瞬疑問にも思ったが、ライフルを構えた瞬間私に光が差した。

 ようやく、兵士を、人を、私と同じ人間を撃てる!と私は興奮して、「撃て!」という指揮官の合図とともに引き金を引いた。

 それなりに離れていたが1発、敵国の兵士に銃弾が当たった。初めて人間を殺した瞬間だった。

 隣で機関銃が汚いタイプライターのように弾丸を連発している音を聞きながら、私は満たされた。

 一瞬、同じ人間を殺したことに対する罪悪感を感じたような気もするが、それ以上に興奮していた。

 狩りの生活は一方的だった。人間の私が、人間より弱い動物を殺していたのとは違う。

 私は同じ人間を、しかも殺しを生業としている兵士を、同じようにライフルを持った1人の人間を殺したのだ。しかも自分がいつ死ぬか分からない生死の狭間のようなこの戦場で。

 そして私は隣の機関銃が向いていない方から突撃してくる兵士を撃ち殺して行った。

 撃つ、ボルトアクションのライフルに次弾を装填する、心地よいボルトアクションの音、そして引き金を引き、それ以上に甘美な銃声をとどろかせて、一人、また一人と敵兵を撃ち殺していく。

 ああ、こんなに生きてるって感じたのはじめてだ。

 そして銃声が鳴り止むと、目の前には敵兵の屍が転がってた。

 私が殺ったのは敵突撃部隊のごく一部だし、ほとんどは機関銃が殺してしまった。確かに合理的な武器だが、一瞬で誰かも分からず大勢を殺してしまう機関銃は、どこか品がないなとも思った。やっぱりライフルの方が美しい。

 そんなことを思ってると、隣にいた男の兵士が私に話しかけてきた。

 「お前すげえな、俺が狙った獲物、ほぼ一発で仕留めちまうんだもん」

 「そうかな、私人撃ってみたくて仕方なかったの。これが初めて。同じ人間撃ち殺すの」

 「なんだよそれ。でもお前の射撃能力半端ないよ。どうしてそんな上手いんだ?いや女の兵士にしてはとかじゃなく、素直に尊敬するよ」

 「いや、私は昔からライフルだけが信用に足りる親友だったってだけよ」

 「なんじゃそりゃ。なんか戦場の女神様っつう感じだな」

 「あんたもなかなかじゃない。私が撃ち殺したあとすぐさま次の兵士を射止めてた。なにかやってたの?」

 「そうか、ならちょっと昔話を」

 そう男は言って男の過去の話を聞かせてくれた。

 

【2】

 俺は今も昔も戦争が嫌いだ。でも俺にはライフルを手に取る以外の選択肢なんてなかった。殺られたくなければ殺るしかない、そういう世界になっちまったからだ。

 俺は小さな王国で生まれた。そして俺が13歳を超えた頃、S帝国とかいうクソみたいな国が帝国主義政策を打ち出して、手始めに俺の国を侵略してきた。

 父親は軍人になり戦場へ赴き、母親は軍需工場で過酷な労働を強いられた。

 そして父は前線で戦死、母は工場で過労死した。そして一人っ子だった俺は戦争孤児となり、まだ侵略をされてない国へ移民として入国した。

 戦争は優しかった両親を殺した。残された俺はまだガキでS帝国への憎しみだけで生きてきた。

 俺の生まれた国は戦争に負け、帝国の支配下に置かれ、次に俺が亡命した国が帝国の矛先に向いた。

 ガキの俺は憎しみに支配されていたから、亡命先の国に従軍した。そして俺は少年ながら兵士になった。

 そこで幾多の戦線を体験した。そのせいか、忌み嫌ったライフルの射撃の腕もかなり上がった。

 亡命先の国は結果帝国に負けたものの、善戦していて帝国にそれなりの負荷をかけたことから、完全な支配下に置かれることはなく、一部の地域を譲渡する形で休戦協定が結ばれた。

 なんとかなった、という気持ちよりやはり帝国への、戦争への憎しみが勝った。

 悲しいかな、この感情を払拭するため、というか押さえつけるためには戦場へいくことしかなかった。

 つかの間の平和を手持ち無沙汰にしている俺にある話が舞い降りてきた。

 どうやら次の帝国の矛先はN共和国にあるらしく、外人でも義勇兵として雇ってくれるらしかった。

 その話を聞いたとき、また帝国に銃弾をくらわせられると思い興奮した。そしてすぐさまN共和国へ行き、共和国の兵士となった。

 始めは若くてかつ移民ということもあって、教官や指揮官から不安そうな目で見られたが、射撃の腕と、少年兵時代に養われた兵士としての素質のおかげで、その目は認めてくれるようになった。

 そして戦場を転々として、最前線の西部戦線へと送り出された。

 これは他の戦線でも同じことだが、戦場で帝国兵を撃ち殺す度、なんとも言いずらいがどこか満たされた気持ちを得ていた。

 確かに戦争も、それに使われる兵器も嫌いだが、残念なことに、自分自身を確かめられる、自分自身を感じられるのはライフルを持っている時だけだった。

 そしてある日西部戦線である女兵士と出会う。

 そいつは優れた射撃能力を持っていた。隣で突撃してくる帝国兵を確実に仕留めていった。

 まるで戦場に現れた女神のように思えた。

 一区切りついてから話をすると、「ライフルだけが親友だ」って言うのさ。おかしな女だと思ったけど、どこか俺と似ていて、こんなクソッタレの戦場で初めて面白いと思った。

 特に「機関銃は品がない」ってとこは共通認識だったらしく、徐々に仲良くなった。今日は俺の方が撃ち殺したとか、この銃はここが良いとか悪いとか、そんな戦場ならではの他愛のない話を交わした。

 

【3】

 あれから何ヶ月経っただろうか。西部戦線は停滞したままで、塹壕での暮らしももう慣れてしまった。というか、血と硝煙の匂い、敵をライフルで撃ち殺したときの光悦さだけが私を満たしていた。

 死が間近にあるとき人はこんなにも生き生きとできるのかとも思った。私だけかもしれないが、私と似た男が同じ部隊にいた。

 そいつは戦争を嫌い、憎みながらも、ライフルを持つことで自分を保っていた。まるで私を映した鏡のようだった。この科学技術の進歩とともに新しい兵器が生まれる中で、ライフルという武器に執着する面白いやつだと思った。この数ヶ月の間で色んな話をして、同じように敵を撃ち殺していくうちに、惹かれてもいった。無愛想な私が笑うことが多くなった。ほとんどは戦争の、あるいは銃の話なのに、ここは最前線の過酷な戦争なのに、初めてこんな話して楽しいやつに出会った。人を殺すことに喜びを覚えてた私が、味方とはいえ、同じ人を殺す人間と仲良くなるなんて。彼といると戦場が楽しくなっていった。

 しかし、この戦争も戦線も科学技術の進歩によってライフルでは太刀打ちできない状況に追いやられた。

 帝国軍が最新兵器を投入してきたのだ。

 それは空を飛んで爆弾を落としたり、機関銃をぶっぱなしてきたりする、航空機というやつだった。

 最初に確認されたのは南の方だったらしい。そして西部戦線にもその航空機が来る可能性が高いということで、軍部は早急に航空機を打ち倒すための、対空機銃や対空砲といった兵器を開発して、西部戦線に配置した。しかしそれらはほぼ試作機だったし、使い物になるとは言えなかった。今まで陸上の平行線上で戦っていた私たちが急に空からも敵が来ると言われても困る。

 だって私たちは今も、おそらくこれからもライフルでしか生きられないのだから。

 私たち前線兵士は防空壕という空の攻撃から身を守るためのシェルターを作り、航空機が飛んできたらすぐさまそこへ逃げ込んだ。

 そしてそのシェルターで彼はこう言った。

 「俺たちライフルで生きてきた人間はもうお役御免なのかな」

 「残念ながらそういう時代になったみたいね」

 「俺らはさ、1発の銃弾に色んな感情を乗せて、目の前の敵兵を殺して、満たされて、そしてまた次弾を装填して、また一人もう一人と撃ち殺していってさ、それで充分だったんだよな」

 「そうね、死と隣合わせの狂った戦場でそれが、それだけが生きがいだったのよ」

 そう言うと彼も私も黙り込んでしまった。

 もうライフルで得られる幸福感はこないんだろうな。このまま爆撃を続けられて、惨めな屍になるのだろうな。そう思った。

 初めてだった。自分が死ぬことについて考えるのは。これまで悪魔のような残酷思考で人を、自分の美学にのっとって殺していった結末にはふさわしいとは納得出来るが。そして何より彼はこの状況で何を思い考えているのだろうかとも思った。

 そしていくばかの沈黙のあと彼はこう言った。

 「なあ、俺とお前でお互いを撃って死なないか?このライフルで。ワンツースリーでさ」

 突然の提案に困惑して唖然としてしまった。

 しかし、徐々にそれも悪くないと思った。いや、それが私たちライフルに取り憑かれ、ライフルを生きがいにした人間の最期にしては上出来だと感じた。

 そして私は答える。

 「あんたみたいな男に殺されるならそれもいいわね」

 「俺だってお前みたいな女に殺されるなら本望だ」

 そう、そしてそれが私たちが愛したライフルなら尚更だ。

 そしてお互い頷いたあと、ライフルと弾薬を持って防空壕を飛び出した。

 「お前たち何をしている!」と指揮官が怒鳴りつける声がするが、そんなものどうでもいい。

 ただこの戦場で、愛したライフルで、彼と最期を遂げるのだ。

 

【4】

 私は空に向けて、あの美しくない機械仕掛けの鳥にライフルを向ける。

 俺はこのクソッタレた世界に憎しみと少しばかりの愛をもって、空にライフルを向ける。

 「死んじゃえ!死んじゃえ!死んじゃえ!」

 「クソが!クソが!クソが!」

 私はライフルを撃ち続ける。

 俺はライフルを撃ち続ける。

 そしてお互い最後の一発を残して向かい合う。

 「あんた、かなり面白いやつだったよ」

 「お前こそ、すげえやつだと思ったよ」

 「それじゃいこうか」

 私が愛したライフルを彼に向ける。

 俺は嫌いなライフルを彼女に向ける。

 「「それでは」」

 「「ワン!」」

 「「ツー!」」

 「「スリー!」」

 「「さようなら!!!」」

 

 そして最後の二発が同時に響き渡ったとき、空には航空機も、雲もなく、晴れやかな空と太陽が戦場を照らしたのだった。

 

詩⑥

「この世の嫌なこと全部何かの陰謀なのよ」

そう先輩は言った

そんな妄言を信じることができれば

どれだけ生きるのが楽だっただろうか

不合理だらけのこの世界

不条理にやられてもう限界

気づけば大人になって

自分に何も無いことに気がついた

ガキの頃は無敵で

天才だったあの頃に戻りたくて

知らない駅のホームに間違えて降りてしまう

そんな人生です

麦わら帽子にワンピース

手を振るあの子は架空の夏

踏み切り越しに薄ら明かり

缶のココアを飲んだのは真実の冬

6畳半のワンルーム

少し錆びたテレキャスター

何も無い僕はそれをとる

Eのコードを鳴らせば

そこはステージさ

 

ああ、どこにも行けない僕らはここにいる

ああ、どこへ行ったのか彼女は分からない

 

ガキの頃は無知で

今は誰もが無視で

「全てが陰謀だから」

そう今でもあの人が囁く

でも歩くしかない現実は

いつか遠い記憶

 

 

 

 

ポエトリーリーディングと先輩と

 今日、というか昨日、ポエトリーリーディングという催しを見に行った。地元の先輩と久しぶりに会いたかったのと、ポエトリーリーディングという未知の表現に対する好奇心が半々の理由だった。

 ポエトリーリーディングというのはなんというか不思議だった。それは初めての体験だったからというのもあるかもしれないが、音楽とも取れるし、朗読とも取れる、それでいて発表する人によってその表現の仕方が違って個性が出てたのはとても興味深かった。

 僕は時折文章書くのが上手いねと言われるし、曲を作るうえで作詞もするし、たまに小説も書くけど、どうもポエトリー、詩を書くセンスは特にないと自覚している。このブログ上でも詩を何本か上げているが、どれも稚拙で、そもそも詩の書き方も解釈の仕方も全くもって無知だ。

 だからこそ(即興の人もいたが)事前に詩として言葉を紡ぎ、観客を前に、自分なりにそれを口に出して表現するのは、とても凄いことだと思う。かなりの演者がいたが、その中でも心に響くポエトリーリーディングを披露する人は何人もいた。そして詩自体も、表現の工夫も十人十色だった。

 僕はバンドをやっていたし、ちょくちょく曲も作ってたし、作詞にはある程度の自信はあったにしろ、それは歌であり、言葉の後ろでは楽器やサウンドが支えてなりたっていた。語弊を恐れずにいうのならば、綴った言葉だけでは成り立たないから、サウンドを、曲としての表現を、稚拙な言葉の隠れ蓑にしていたのだ。(とはいっても僕の作る曲はオケも優れたものとは決して言えない稚拙なものなのだけれど)

 それに対してポエトリーリーディングをする人たちは詩だけを、言葉だけを、抑揚など表現の工夫や個性はあるにしろ、それだけで戦っていたのだ。

 この世には色んな創作物、表現がある。小説、音楽、映画など、様々なものがあるけれど、ポエトリーリーディングはそれらよりも率直で、言うなれば言葉一つ、詩一つで、まるで丸腰で、隠れ蓑なしで観客へ向けて放っているのだ。

 僕はそれをかっこいいと思った。別に勝ち負けとかそういう話ではないかもしれないけれど、負けたような感覚に陥った。僕は言葉だけの力をあなどっていたのかもしれない。それだけ衝撃的だったのだ。

 この一日でポエトリーリーディングというものに惹かれた。面白いと思った。だから僕にとってこの夏の一時は充実感に溢れるものだった。

 ちょっとポエトリーリーディングにも手を出してみようかなとも思う。詩のセンスもなければリーディングのセンスもないから、とても不安ではあるけれど、面白い世界だと感じてしまったから。

 

 そして地元の先輩と久しぶりに会ったのも良かった。地元にいた頃からそこまで交流が深かったというわけでもないけど、とても魅力的な人で趣味も合うなと勝手に感じてたから、前から仲良くなりたいと思ってた。だから久しぶりに会えて嬉しかった。どこか以前より生き生きしていて、どこか以前よりも笑顔が増えてるのを見て僕も嬉しくなった。

 静岡という地元から東京に来た知人は少ないから、静岡上がりの上京人と会うと嬉しくなってしまう。

 そしてその先輩はとても素敵な人だと感じた。尊敬しているとも言えるかもしれない。

 僕は高校を卒業して東京に来て、大人になって、時間が経つ度に憂鬱さが増していった。もう青春なんてないのだと、なりたくなかったつまらない大人になっていくのが苦しくて、どんどんと自分を、世界を悲観していった。

 でもその先輩は違った。

 僕より年上なのに、ティーンみたいな世界や周囲をひねくれた見方をしていても、誰よりも青春していた。きっと僕よりも大人になってしまったことを後悔してるかもしれないが、それ以上に青春していた。小さなことでも悩んで、でもそれよりも小さなことでも幸せを感じていて、僕がこう言うと失礼になるかもだけど、あどけなくて、少女らしさを輝かせていた。悩みつつも人生を楽しんでるように見えた。それは凄いことだ。大人になることは妥協することだと誰かが言った気がするが、先輩は大人になっても、というか大人になったからこそ、見方を変えて幸福を掴もうとしている。僕はそんな先輩が大好きだ。今の僕に足りないものを、今の僕が失ったと思い込んでるものを見せてくれる魅力的な人だ。

 今日というか昨日、少し自分の人生観が変わった気がする。だからとても感謝してる。

 そしてポエトリーリーディングの合間やその後飲みに行って話し足りないほど話した。好きなバンドの話、今までのお互いの思い出の話、先輩が経験してきたことの話、たくさん話した。ここ最近で一番楽しくて幸せな一日だったと思う。

 それでいて先輩は優しかった。辛いときは気軽に連絡してと、また遊ぼうと、そう言ってくれた。素直に嬉しかった。仲良くなりたかった人、尊敬する人からそう言われると本当に、素直に嬉しい。

 そして先輩はこうも言っていた。

 「楽しいこと、幸せなことを見つけて、それを実行して、そしてまた楽しいこと、幸せなことを見つけて、それを繰り返していけばもっと人生良くなるよ」と。

 それは今の僕に足りない考え方だった。だから僕も先輩みたいに小さなことでも幸せを素直に受け取って、それを糧に生きていければいいと思う。辛いことや苦しいこと、憂鬱な気分は常に僕にまとわりついてるけど、そうしていけば明日は少しでもいい日になる気がするから。

 また先輩と会うのが楽しみだ。とりあえずそれまでは頑張って生きよう、そう思える。

詩⑤

ある晴れた朝に君を見た
あるはずのない懐かしさがそこにはあった
君は麦わら帽子をかぶっていて
意味もなく笑っていた
ぼくらを見下ろす
向日葵のあいだを
すり抜けていく君
追いかけて、追いかけて
生ぬるい風をきって
たどり着いた先で
やっぱり君は笑っていた
意味もなく無邪気に
小麦色の肌、純白のワンピース
「この向日葵を越えたらわたしたちはどうかわるのかな」
その先はもうなかった
僕の妄想は行き急ぐ群衆にゆらいで
陽炎のように消えていった
あの子はまだ後ろにいる、
まだ手も届く
あの子もきっと同じことを思っている
それでもぼくらは振り返ることなく
何かにとりつかれたように
何ともわからない日常へ
それはきっとぼくらが出会うのが遅すぎたからで
それはきっと今のぼくらには鮮やかすぎる幻のせいで
何事もなかったかのように
一生越えることのない高層ビルのあいだを通り抜ける

僕たちに残響はない