柏原さんの日常

おるたなてぃぶな生活を

ロックンロールが死ぬには世界も僕もまだ完璧じゃない

歳を重ねるのって恐らくほとんどの人が、成人すぎてから憂鬱になるものだと思います。

ケーキの上にもうロウソクを立てれないのは寂しいですし、何か特別なことがあるわけでもなく、ただ淡々と時の流れの残酷さを感じるだけです。でもそれは誰のせいでも世界のせいでもなく、他でもない自分自身が、あの頃嫌悪してたつまらない大人になった証拠でもあります。ギラギラとキラキラが入り交じった少年の影が、僕の背中に中指を突き立てているのです。

もう話すことも会うこともないであろう、クラスメイトは今どうしているのでしょうか。幸せな日常を歩んでいるのでしょうか。僕の知る由のない誰かと隣合って、何気ないけれど少しだけ手に余るくらいの幸福を原動力に、陽の光が差す道を歩んでるのだろうと思います。

あの頃の僕だったら、「お前らはそんなぬるま湯に浸かって、面白くもない人生歩んでろよ!」と言って歪んだEのコードをかき鳴らしていたのでしょうが、如何せん24歳になると、僕も嫌でも現実を見て大人になるもんで、羨ましくて仕方なくなりますし、同時にそんな人並みにもなれない自分が惨めに思えてしまいます。暗い谷底から微かに楽しそうな声のする地上を眺めている感覚です。

僕がつまらない大人だと思っていた人たちは、実は太陽を目指して努力をしていたのでしょうし、転ぶことなく橋を進めている優秀な人たちなのでした。

ですが、羨ましいと思っても彼らのようになりたいかというと、それもまた違います。苦し紛れの言い訳もなくはないですが、そもそも僕と彼らは違うからです。ナードにはナードなりの幸せの掴み方があるでしょうし、彼らのように陽の光が当たる場所にいなくとも、幸せになることはできると思うからです。それに今から何メートルあるかも分からない崖を登っていくより、この暗い谷底で幸福のあり方を見つける方が幾分近道です。

僕にはハッキリ自信をもって言えることもあります。僕はアスファルトに咲く花を、とてもとても綺麗だと心の底から思えることです。暗く湿ったこの場所にも花が咲くことがあると知っています。

なんならここで、僕だけの花畑を作ることだってきっと可能なはずです。

僕の心の中にある、ロックンロールの精神はまだ消えてないのが分かります。あの頃夢見たロックスターにはもうなれないかもしれませんが、スターじゃないからと言ってロックンロールをしちゃいけないなんて道理はありません。いい歳したって教室の隅で歪みきった轟音を鳴らしてもいいはずです。惨めで醜い大人にはなったかもしれませんが、自分がなりたい大人はここからでも目指していけます。

だってまだ純粋に心躍る瞬間がたくさんあるからです。ティーンみたいにはしゃぐこともできます。

だってまだ世界も僕も完璧じゃないからです。不安定で未完成だからこそ、ロックンロールが死ぬには早いんです。早すぎるんです。

辛いし、息苦しいし、生きづらさばかり感じますが、それと同じくらい、いやそれ以上にハッピーやワクワクを感じています。まだまだ知らないことはたくさんあって、面白すぎるこの世界を十二分に楽しめるティーンエイジスピリッツが心臓を今も打ち続けています。

もちろん僕は大人ですから、否が応でも世界に馴染む術は身につけるべきで、それ相応の努力はしなくてはいけません。今自分ができる限りの前進はしているつもりですが、僕の1歩はみんなのそれとは明らかに小さくて、ひとつ進むのにも休み休みです。

それでも前に進むのを、明日は今日よりもきっと良くなるという希望を持ち続けるのを諦めることはしたくありません。

だからそのためのロックンロール何ではないでしょうか。

ナードだって、いやナードだからこそ、僕は下向きでも、イヤホンから最大音量を流して、時にはバカみたいにギター掻き鳴らして歩いていきますよ。

アスファルトに咲く花や歪みすぎた音が存在する未完成な世界を、最高だって感じることのできる不安定な僕がゆくのですから。

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