柏原さんの日常

おるたなてぃぶな生活を

僕のエモ

 ふと神聖かまってちゃんの「23才の夏休み」を聴いていると、僕は今年で23歳になることに気付く。なのに僕は未だに大人になりきれていない。就活中で宙ぶらりんの状態だからそう強く感じるのかもしれないし、内定もらってまた働き始めたら考え方も変わるのかもしれない。でも確か20歳を超えたあたりから、歳を重ねて年齢的には大人になっていく自分と、高校の頃から変わらない精神の矛盾というか葛藤のようなものが、常に僕を蝕んでいた。そして心の弱さから目を背けるために、昔のことを思い出す。

 あの頃の僕は無敵の天才で、輝かしい未来を描くことに、微塵も羞恥心を抱かなかった。

 僕は幼い頃あまり褒められなかったことから、人一倍承認欲求の強い、他者からの評価を糧に生きていく高校生だった。

 それだけ貪欲だったから、悲しいことはあったけれど、誰よりも、人一倍、その時を生きていた。めげることがあっても、立ち上がるだけの勇気はあった。そして若いゆえの衝動で、深く考えず東京という街にきてしまった。

 それから僕はダメになってしまった。東京の退廃的な空気に体も心も犯されて、人生立ち往生になってしまった。いや、元から天才でもなんでもなくて、ダメなやつだったのかもしれないが。

 早く地元の静岡に帰りたい。時は残酷にも僕を蝕み続け、いずれはなりたくなかった大人ってやつにならなくちゃあいけないのであっても、せめて懐かしい故郷の空の下で暮らしていきたい。わけあって当分はこの東京に居続けることにはなるのだけれど、いずれかは。

 思い返せば、あの頃の、青春時代の日常は欠けがえのないものだったのだなあと、しみじみ思う。何気ない日常こそが宝物とはよく言ったものだ。

 決して賑わってるというわけではない街へいき、決して色鮮やかというわけではない教室へ行き、退屈でもあった授業を受け、寄り道をして帰って、祖母の作る美味しいご飯を食べ、無為にも時間を潰して、そして寝る。たったそれだけでも僕にとって、それが心を支える大切な日常だったのだ。

 もう都会の喧騒は疲れた。知らない土地に抱く、拭えない不信感にもいつ耐えきれなくなるか分からない。

 図書室の本の匂いも、あの子と通ったコメダ珈琲も、澄んだ田舎の空気も、今ならあの頃よりも味わい深く感じることだろう。

 紛れもないエモはそこにあって、過ぎ去ってから気づくものだった。

 いつになるか分からないけど、帰れるといいな。これが僕のエモ。