柏原さんの日常

おるたなてぃぶな生活を

社会に対する疑念とこれからの話

愚痴を吐きます。本音を言いたいと思ったので。
僕は母親が父親にDVするのを幼少期から目の前で見させられてました。挙句父親は死別し、母はその代わりに僕にイライラをぶつけてくるようになりました。
でもそのとき誰も父と僕を擁護してくれなかった。母親は女性で大変なんだからって。むしろ母親を擁護して、僕を叱る先生もいました。そんな中、やり場のない気持ちを抱えてここまで生きてきました。

けれど母親が絶対悪だったわけではない。父親がリーマンショックの影響で解雇されてから、健康的な問題も重なって、働けない状態になり(その代わり家事は行ってくれました)、母の負担が増えたのも家庭の崩壊に拍車をかけていたのですから。それも考慮すると、もともと虐待していたとはいえ母親の苦労も理解しなくてはなりません。親としては感謝してます。(ただ父親を家畜のように扱い、毎日汚い暴言を吐き、父の作った食事を捨てたり行った家事をやり直すなどの嫌がらせをしてたのは許し難いですが)

高校に上がってから僕はこう考えるようになりました。結局のところ父親が大金を稼いでいれば、裕福で不自由ない生活・家庭だったならば、こんな悲劇は起こらなかったんだろうと。
父はとてもよい父親でした。けれども反面教師にすべき存在だとも思っています。
父親の二の舞にならないためにも、父の分も良い人生を送るためにも、良い大学にいくのが唯一の解決策と考えました。母親は名前も聞いたことない短大卒、父親は神奈川の公立大学を中退と、お世辞にも高学歴とは言えません。それを鑑みても、良い大学をでるに越したことはないでしょう。それに僕自身大学で(今では社会科学もですが)人文科学を研究するのが夢でしたから。

ですが田舎の公立高校で、しかも塾にも行かせてもらったことの無い、教育にお金を注げない家庭なのは大きなハンデでした。
それに荒れていく家庭環境から目を背けるべく音楽や小説、インターネットなどに逃避するばかりの高校時代です。そもそも勉強する習慣も、勉強に対する意識も無かったのです。
結局勉強し始めたのは高三の六月からでした。これは先述の理由だけでなく、好きな女の子(頭の良い女性でした)を追いかけるという邪な理由や、ラッキーにも勉強が逃避先になって楽しくなったからという理由があってのものですが。
それでも勉強を始めるのが遅かったのは僕の怠惰と甘えゆえですし、どれだけハンデハンデといっても完全に努力してたとは到底言えませんでした。そのため早稲田を目指すと言っておいて、実力はMARCHと都立大学合格が限界でした。

それでも父の学歴は越しましたし、かつ好きな学問に打ち込めることは何よりも嬉しく、大学が楽しくて仕方ありませんでした。
けれど待っているのはまた経済的問題。卒業までにする借金はざっと見積もって900万以上。
これは精神的に大きな負担となり不安の増大にも繋がりなりました。そして育ちの環境の悪さと幼少期青年期のトラウマから精神障害(鬱病・不安障害)まで負ってしまいました。(もともと発達障害精神障害の気質があったようですが)
これが現状です。本題(言いたいこと・本音)に入ります。

自分の不幸に酔って甘えにしたくなかったですし、自分の努力不足や怠惰もありますし、僕より辛い環境で頑張ってる人もいるので、ハッキリ言いたくなかったですが、この際言わせてください。
生まれや育った環境のせいでこんな不幸なことになってしまうのは、理不尽で許せません。社会が歪に見えます。おかしく感じますし、違和感を得ます。よくよく見ると異常な問題がたくさんあります。
ただ僕がすべきなのは歪な社会を良く生きるために教養を付けること。そして恵まれてる人を憎むのではなく、苦しんでる人に目を向けて手を差し伸べることです。まず今学問を好きなように好きなだけ学べる、そんな恵まれた環境にいる僕が思いっきり学問を追及するのは当然です。だから今日尊敬し信頼する教授(正確には准教授)と会って講義を受けてきました。リハビリがてらではありますが、これから社会学の授業に出席することになりました。またご好意で(昨年から行ってた)教授と僕と友人の3人の少数特別ゼミもカリキュラム外で再開して頂けることになりました。
この教授のように、学者にもこんなに人間味のあって優しい方もいるんだというのは、僕にとって何よりの救いでもあります。だから僕はまず僕のために好きなように勉強していきます。
日本社会では歪で理不尽な構造のうえで苦しんでる人がいますから、最終的にはその人たちに手を差し伸べなくてはならない。そういう苦しんでる人を野放しにしてもし崩れたら、その瞬間僕も、富裕層の人ひとも崩れ落ちていくのですから。
そのためにはまず社会の内実を考えなければならない。当たり前や正しいと思ってることが本当に正しいのか、その本質はなんなのかを社会学だけでなく、歴史学、文学、哲学、自然科学、さまざまな視点からさまざまな事象を見ていく必要があります。もちろんこれは今僕が学問をするということの真髄です。
けれど僕だけでなく、今不自由なく暮らせてる人たちも、この社会の表象ではなく内実に目を向けてほしいと願います。自分たちは何もおかしいことなんかないと思っているのなら、もう一度考え直してください。表象だけみるのではなく、内実を、本質を探ってください。色んな考えや思想にも目を向けてください。
例えば「海外ボランティア」と聞くと良い印象を持つと思いますが、本当にそれは正しいのか。なんのための「ボランティア」なのか。海外の前に国内の見えないところで苦しんでる人もいるのではないか。結論を強制しませんが、多くの物事を批判的に、懐疑的に考えてみてください。
僕は復学に向けていくなかで、そういった学問追求をしていく所存です。