柏原さんの日常

おるたなてぃぶな生活を

日記【10月31日】

 昨日、自殺未遂のときお世話になった警察官の人と会ってきた。警察官ってお堅い人がほとんどかと思ってたけど、その人は気さくな人だった。

 色んな話をしたけど、また辛くなったら話聞くから交番に来てよと言われたのが嬉しかった。あとこういう経験したんだから、社会貢献するような職ついたら?とも言われた。今塾講師に絞って仕事を探してるけど、塾講師って社会貢献になってるのだろうか。そりゃ社会貢献にならない職なんて法に触れるようなものしかないだろうし、みんな何かしら社会の歯車になってるんだろうけど、それこそ警察官とか医療関係とかに比べて自分のやってる事はちっぽけなんじゃないかと思うことがないわけではない。

 もうかれこれ3、4年塾講師をやっているわけだけど、一生これをやってくのかと言われると疑問がある。父親は塾講師やってたけど、時代や運に恵まれず上手くやっていけなかったのをみると、少し心配だ。僕は将来どうなりたいのだろう。もちろん社会貢献はしたい。かといって塾講師にやりがいを感じてないわけではない。生徒が結果を出した時とか、感謝の言葉をもらったときは嬉しかった。社会貢献をしてるとも思った。けれど、自分の中でまだ満たされない、どこか違う感覚があったのも間違いない。僕は何をしたら満たされて、何をしたら幸福になれるのか未だに分からない。

 この社会は残酷にも学歴社会であることは否めない。だから生徒を良い学校に行かせてあげるのが社会のためになると思ってた。けれど、僕が生徒を一人良い学校にいかせるということは、どこかで誰かがその学校に落ちているということでもある。みんなが幸せになる方法なんてない。ましてや勉強という名の洗脳をしているのではないかとさえ思う。僕は学歴社会から、競走から逸れたはみ出しものだし、そうなると学歴社会に思うことがあるわけで。勉強さえ出来ればいいのか、良い点数を取ることが善なのか。僕は未だに自分の中で解決ができない。

 僕は高卒や中卒でも、必死にもがいて、懸命に生きている人をたくさんみてきた。大学を中退して色んな壁にぶつかった。だから正直学歴社会なんてクソ喰らえだと思ってる節もある。けれど同時に頑張った人が評価される社会を肯定している面もある。分からないことばかりだけど、おそらく当面は塾講師として働くことになるだろう。そうして続けていったら何かが見つかるのかもしれない。そんな希望に縋って今日も生きていくしかない。それだけは思う。

 それではまた明日。