柏原さんの日常

おるたなてぃぶな生活を

塾講師のアルバイトの話

 アルバイトではあるものの塾講師という仕事が好きだ。もちろんお金を稼ぎたいからというのが一番の原動力なのだけれど、それとは別にやりがいがあって好きで仕事をしてる。今は塾講師だけだが、今まではコンビニ店員とか派遣みたいな仕事とかいくつかの職種を経験してた。それらと比べても塾講師は楽しい。

 抑鬱で学校にいけなくなってもこの仕事だけは続けられている。それは今の職場が鬱病への理解があって、病気の僕に優しく接してくれてるのもあるが、なにより子供たちと関わると少し心が安らかになるから続けられていると思う。抑うつでほとんどの時間は気分が落ち込んで、嫌なことばかり考えてしまうし、正直職場まで足を運ぶのはキツい。これから仕事かあ、面倒だなあと思いながら出勤してる。けれどいざ仕事が始まれば気持ちが切り替わって、授業をすることに集中できる。嫌なことを考えなくて済むし不安を感じることもない。もちろん生徒に対して不満を感じることも多少あるけど、だいたい生徒と接するのは楽しい。

 ただ自分だけ楽しくていいわけではない。塾は学校ではないし、ひたすら勉強をするための場所で、僕ら塾講師は生徒の成績や点数をあげることを第一に教鞭を取らなくてはならない。道徳や社会性だとかは学校や生徒自身の生活で身につけていくものであって、塾講師はそこまで踏み込んで教育するべきではないことは充分承知してる。

 でも僕は生徒たちが優しい思いやりのある人に成長してほしいなと常々思いながら接している。そして幸福になってほしいとも思ってる。そうなるうえで、勉強ができるというスキルはプラスになる。良い成績や点数を取れるに越したことはない。どんな進路、どんな将来になるかは生徒個人で決めることで、勉強ができればより選択肢も増えるし、生徒の望む未来に多少なりとも近づく。そのために僕は微力ながらも助けになりたいと思って授業をする。アルバイト身分で1年しか勤務してないくせに何を偉そうにと思うかもしれないが、この意識は僕の責任感を高めるし、今僕が抑うつ病から立て直すのに一役買うような意識だと思ってる。生徒のためといいつつ自分のためでもある。

 現状、僕はひきこもりがちになってるし、一応行けるときに学校にいってサークルに顔を出すようにしてるものの、以前に比べて社会との接点が少なくなった。そんな中でこの職は僕の社会性や精神的な面で大事にしないとと思う。まだバイトを続けられてるというのはいいことだ。

 そうやって善人ぶりながら子供たちに勉強を教えてるわけだが、同時に僕も子供たちから教えられることや、考えさせられることがある。僕が受け持ってるのは主に中高生。絶賛思春期真っ只中の多感な年頃だ。うちの塾は大規模な会社じゃないので、全国に校舎をもってるような塾や予備校よりも(良い意味で)緩い雰囲気の塾だ。地域に密着したような感じ。そのためか、割と教師と生徒の関係が近く、しょっちゅう何気ない話をする。(ただあくまで教師と生徒である以上モラルは肝に銘じているし、適度な距離は保っている)

 僕は今年で20歳なので、さほど歳は離れていないが、生徒の感覚と僕の感覚はどこか違う。子供たちは純粋な部分が大きいし、それでいて色々な物事に対して敏感だ。やっぱり自分のことや周りのことについて悩みながらも考えている。そんな彼らと接していると、僕が大人になるにつれて失ったものを再確認すると同時に、ハートフルな感情が湧くことがある。

 

 話は変わって先日川崎市で悲惨な事件が起きた。子供たちを含む多くの人が殺傷された挙句、犯人も自殺するというあまりに残酷な事件。僕の勤務地から近いことや、多くの  子供たちが被害にあったということもあって、僕自身少しバッドに入ってしまった。愛も憎しみも行き場を失うことの虚しさと悲惨さ。実際僕とは何の関係もない事件でも、その虚しさと悲惨さは僕の心を乱した。ただ世界はこんなものなのだと、理不尽で残酷なのだと、現実を突きつけられたような感覚。どれだけ悲しんだところで起きたことは変わらない。事実は事実なのだ。関係の無い鬱病患者の涙に価値も意味もない。悲しむ暇があるなら考えろ。この事件を通じて何かを論考しろ。論考の末に自分がやるべきことを見つけろ。そう言い聞かせてバッドから戻るように、事件の数日後いつも通りに出勤した。

 その日は高校生に生物を教えなくちゃいけなかった。事件のショックもあって、心身ともに調子が悪かったが、仕事をすればある程度落ち着くので、何とか出勤した。

 高校生物の授業といっても僕が担当してるのは基礎分野。生徒も受験や定期テストのためではなく、生徒の進路の関係で生物の知識をいれておいた方がいいよねということで受講していた。なので毎回この授業は比較的ゆるく、雑談を交えながらのものだったので、調子もすぐ正常に戻った。調子の悪さが表情にでてたため、授業開始時には生徒から心配されてしまったのは少し情けない話ではあるが。

  本人曰く勉強があまり好きではなく、すぐ教えたことを忘れてしまうので、いつも通り「ちゃんと帰ってから復習しろよ〜」とか「宿題ていねいにやってくるんだぞ〜」とかお節介な小言をよく挟みながら、こちらも丁寧に大事なことは繰り返しつつの授業。特に変わったこともない、普段と同じ感じの授業。ただいつもより少し早く終わったので終盤は生徒と他愛のない会話をして時間を潰してた。

 すると生徒が「先生あの事件のニュース見た?」と聞いてきた。

 「登戸で起きたのでしょ?悲惨な事件だよな…」と内心ビクッとしながらも受け答えると、その子が

 「俺さ、明日親と一緒に現場に花添えてくるんだ」と言った。

 いつもヘラヘラしてる少しお調子者な生徒だったので、その言葉に驚いた。

 「ちょっと意外だったけど、偉いな。そういうの大事だよ」

 「うん。うちの学校の先生がね、思いやりの心とか気遣いとか、そういうの大切にしなさいって言ってたんだ。俺物覚え悪いけどそれはちゃんと覚えてるぜ」

 彼のその一言で僕は少しバッドから救われたような感じがした。いつもヘラヘラしてる彼からそんなセリフを聞けたのが純粋に嬉しかった。

 「触媒とかDNAの構造とか覚えんのも大事だけど、その気持ちの方が大事なのは間違いないよ。職業柄、勉強しろとしか言ってないけど、ぶっちゃけ僕はそういう心を持ってるやつが一番偉いと思う」

 少し照れくさいし、塾であまり言わない方がいいような返答がもれてしまった。少し感傷的になりすぎたかなと思っていると、「じゃあ宿題なしでいい!?」なんていつもみたいに調子づいたことを捨てゼリフに帰っていった。やれやれと思う。

 

 僕はあくまでアルバイトで金を稼ぐためにこの仕事をしてる。生徒の点数や成績を上げるのがこの仕事の最優先事項。それでも僕は給料と同時にまた別の何かを得ている。それはとても暖かくて優しくて、今僕の沈んだ心の船を少しだけ引き上げるサルベージのようなもの。生徒を教える立場にありながら、僕も生徒たちから何かを学んでいるのかもしれない。

 塾講師をやってちょうど1年になる。責任感やプライドに似たものも生まれてきた。バイトではあるが昇給もある。そのため成果を出さなくちゃいけない。点数や成績といった明確なもので。あくまでお金を貰っているんだという自覚をもって望まなくちゃいけない。僕が第一に教えるのは決して道徳ではない。国語や英語や数学などだ。日本は一応学歴社会である以上、学力があるものが利益を得やすい。でも本当のことを言うと、勉強よりも大事なものがあると信じている。それは僕が子供たちから得ている優しさで、僕も子供たちに優しい人間であってほしいと願ってる。職業柄そんな感情的なことは全面には出せない。思想の押しつけもしない。

 ただ、悲惨な現場に花を添えて黙祷するように、僕は祈る。優しくあれと。幸せであれと。子供たちは分かっている。だからこそ明日は少しだけでも良くなるようにと祈る。

 今の僕には祈ることしかできない。無力で無能でおまけに鬱病で学校にも行けてないくせに。それでも頭の片隅で祈りを保ちながら、僕は出勤して狭い教室で授業をするのだ。