柏原さんの日常

おるたなてぃぶな生活を

悲劇のヒロインシンドローム

 僕は高二のときに父親を亡くした。若いうちに親を亡くしたことは僕の人格に多少なりとも影響を与えてると思う。

 両親は中二のときに離婚し、父は地元である東北の実家に帰って、僕は母方のほうについた。それからは1回会ったきりで、時折電話をする程度だった。

 父方の親族とはほぼ疎遠状態でもあった。そして父親の死に際には立ち会えなかった。父が亡くなって葬儀も一通り終わりひと段落ついたところで、祖母(父親の母親)から連絡があり、亡くなったことを告げられた。恐らく、当時子供だった僕に気をつかってからだろうとは思うが、死に際に立ち会えなかったのは今思い返してもすごく寂しい。

 電話越しに認知する実の親の"死"というのは、あまりにもあっけなく、その場で実感するには至らなかった。けれど時間が経つにつれて、父親がいなくなった事実がひしひしと僕の心をえぐっていた。

 父親を亡くした17歳の僕はひどく感傷的な、かつ内向的な人間になっていた。悲しい気持ちが、憂鬱な気持ちが常に僕を支配していた。

 そして恐らく、今思うと身内に不幸が起こった僕は世界を俯瞰し、"不幸な僕"を作り出し、その殻にこもり、"不幸な僕"に多少なりとも酔っていたと思う。悲撃のヒロイン症候群とでも言うべきだろうか。とても醜い人間だったのだろう。僕より苦しい環境で生きている人もいるというのに。

 そしてこの悲撃のヒロイン症候群は今でも引きずっていると思う。

 家庭環境の悪い僕、容姿が醜い僕、精神病になった僕と、そういう風に自分に不幸の要素を結びつけて、自分を守るシェルターを無意識に作っていると思う。

 世界なんて見方一つで変わるのに。努力をしなければ前に進めないのに。

 それでも落ちるとこまで落ちたくないから、現状維持をしようと悲劇のヒロインという殻にこもる。

 でもそれは現状維持でもなんでもなく、ただ緩やかに衰退していってるだけなのだ。

 自分が変わらなくても世界は変わっていくから。

 僕はただ自堕落な人間なのだと自覚する。

 それなのに、未だによく父親の夢を見る。父親の死という事実だけでなく、父親自身の幻影を今でも見ているのだ。

 失くしたものは戻ることはないという、この世の真理を受け入れられてない僕はまだガキなのだろう。

 それでいて、不幸な自分に酔っている僕はガキ以下なのだろう。

 けれど失ったものを忘れるのが、戻ってこないからと妥協するのが大人だというのなら、僕は一生子供のままでいいとも思ってしまう。

 ただ悲劇のヒロインぶるのはやめなくてはいけない。父の死を言い訳にする、そんなの父は願ってない。

 そしてそんな中、最近少しだけ光が差してきた気がしてる。日常に潜む楽しさや嬉しさを拾うのが少しだけ上手くなってきた。

 例えば音楽を聴くとき、今までは悲しみや感傷の共有を目的としていたのが、僅かでも希望をすくい上げるために聴くことが多くなった。

 例えば誰かと話すとき、慰め合うのを目的としていたのが、明日を夢見るためにすることが多くなった。

 これは小さな変化だが、前に進んだ証拠でもある。

 だからこれからは、そんな小さな変化を、積み重ねていきたい。だって悲劇のヒロインでも幸せになれない道理はないから。