柏原さんの日常

おるたなてぃぶな生活を

記憶に縋っても

ここ最近中学の同級生に会うことが多い。僕自身はあまり中学時代の人間関係が良好だったとは言えないので、今更会って何を話すんだってところだけど、本当に仲の良い友人が集まりに誘ってくるので断りきれない。久しぶりに会って嬉しい友人も何人かいるし。それでも旧友と話しているときでさえ辛くなることがある。なんとういうか僕と彼らとの"相違"がひしひしと伝わってくるような。誰かは就職をして立派な社会人に、また誰かは名門大学に進学、はたまた学校を退学してヤクザになりそうなやつもいた。別に羨望や軽蔑の念を持ってるわけじゃなくて、周りが変わっていくことがただ悲しい。当たり前のことだとは分かってるけれどなんだか悲しい。同時に僕はなにをやってるんだろうと思う。中途半端な人間だなとも思う。

 「お前は変わってないよな」と昔の同級生たちは口を揃えて言う。そう言ってくれるのは安心するけど、そうじゃないよと返す。みんなはそう思っていてもね、表に出さなくてもね、汚い大人に近づいた気がするんだよ。

 でも自分が変わる以上に他人が大人になって変わっていくことのほうが心にくる。

 高校時代、放課後に他愛のない話をし続けた友人もすぐに大人になって愛想笑いに磨きがかかるのだろうし、昔好きだった女の子もこのままサッカー部か野球部の男の子と明るい家庭を築いていくんだろう。

 それは仕方のないことで、受け入れて祝福するべきことなのかもしれない。けれどわだかまりは消えない。

 今日も友人に会った。

 「明日大学の方に引っ越すから、思い出の場所巡りしてたの。そのとき好きだった音楽聴きながらね。」と彼女が撮った小学校や中学校の写真を見せてきた。涙出てきちゃうよね〜なんて言って、彼女の昔話もしてくれた。音楽関係で高校時代に知り合った友人なので彼女の学生時代はよく知らない。どうやら彼女は見た目のことで色々と中学時代に辛い思いをしたらしい。それでも笑顔で「そういう経験したから私だけは優しくなりたい」と言う。進学先は精神関係の福祉大学らしい。「ここから離れるのは寂しいし、これから不安しかない。けどまた就職は戻ってくるつもりだからね」

 子供っぽい彼女も4年後には大人になって帰ってくるんだろう。けれどその変化だけは楽しみに思えた。憧れもした。そして彼女の純粋さだけは変わらないように思う。多分辛い思い出も含めて綺麗なものとして受け入れてるからだ。

 僕もこれから東京にいって、あくせくと変化していく環境に呑まれていって、また誰かの近況報告に一喜一憂していくんだろう。誰かが思い出にすがるのは醜いことだと言っていた。僕も極度に記憶を美化しすぎるのは嫌いだ。それでも思い出が何かを綺麗にすることは知っている。音楽や小説や、自分自身や。どれだけ醜くすがってもいいから、記憶の中だけでもいいから、僕も、できれば周りも、純粋なままでいてくれたらなと願いながら、久しぶりに僕はフジファブリックのファーストアルバムを再生した。