柏原さんの日常

おるたなてぃぶな生活を

四月じゃないのに100%に近い女の子に出会ってしまった

村上春樹の短編にこんな題名の話がある。
「四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子と出会うことについて」
僕のお気に入りの短編だ。これが収録されている短編集『カンガルー日和』もお気に入りの一冊なのでこれを見てる人はぜひ読んで欲しい。
それはおいておいて今日僕は100パーセント、あるいは100パーセントに限りなく近い女の子に出会ってしまった。
今日は"ある晴れた日"ではあるものの3月下旬。惜しい。あと少しで"四月のある晴れた日"になれたのに。
とにかく僕は素敵な女性にあったのだ。まあ案の定話しかけられず、僕の最寄り駅の二駅手前で降りてしまったけれど。
その時僕は診察を終えて心療内科から帰る途中だった。珍しく心中穏やかな春心地だったので、のんびり各駅停車の京王線に乗っていた。久々にスカスカの車内を見た気がする。ゆらゆらと揺られながら、ちらほらと窓の外から見える桜を眺めながら、電車が柴崎駅に停車すると、彼女は乗車してきた。
完璧だった、というと胡散臭く聞こえるので完璧に近かったと言っておくことにする。
水玉の紺色のワイシャツに、白い毛糸のカーディガンを羽織って、深い青のロングスカートを履いて、シンプルな柄のトートバックを肩にかけていた。
大きなマスクをしていたので顔はよく見えなかったけれど、細い目をしていて色白で、中途半端に伸びた髪の毛は自然な茶色で、それでもって猫背だった。
これほど僕の好みを絵に描いたような女性はいただろうか、と思わずびっくりしてしまった。
彼女は僕と同じ側の席の一番端に座った。
(ここで本とか読み始めたら最高なんだけどな)と思っていたら、彼女はトートバックから文庫本を取り出して読み始めたので驚いてしまった。ここまでくると流石に何とも言えぬ確信を抱いてしまう。完璧すぎる。
とは言ってもここで話しかけられないのがオタクの運命というやつだ。悔しい。もし話しかけることができたらどうなるだろうか。恋人はともかく友人くらいにはなれるだろうか。とまあ、色んな考えや妄想が膨らむ。
彼女の読んでる本がもし僕の好きな作家のものだったらとか、彼女がもし偶然同じマンションに住んでいたらとか、彼女ともし高校時代に出会ってたらだとか。ありもしない妄想ばかりが膨らむばかりで僕と彼女の関係は何一つ変わりはしないのだ。
くそう、こういうときに話しかけられるような人間になれたら!と思ったが、話しかける勇気があっても相手にされるほど顔に自信はない。
「話しかけないで、キモオタク」と言われてしまうのがオチだろう。いや、それはそれでいいのだけれど。
とにかく僕は話しかけられなかったし、多分どこかで再開しても話しかけられそうにない。他人のままだ。
こういうとき、赤の他人に一目惚れしたときみなさんはどうするのだろう?話しかける?それとも家に持ち帰って妄想を楽しむ?
僕はどこかやりきれない気持ちのまま帰宅した。そうすると無理やり自分を納得させようと(彼女は100パーセントではなかったんだ!)と粗探しをする。
そういえば僕はメガネをかけてる女性が好きなのに彼女はかけていなかった。とかなんとか。
そうやって自分を無理に納得させてもやはりやりきれない気持ちが残るので、思い切って髪をブリーチしてる。
金髪になったところでオタクはオタクなのだけれど、気持ちの問題だ。
とまあこんなことがあって今に至りますって話。こういう何気ないワンシーンに一喜一憂できるのも春の心地良さゆえなのかもしれない。