柏原さんの日常

おるたなてぃぶな生活を

退廃的/衝動的

 退廃的ってなに?エモいってなに?

 

 日を重ねるほど社会復帰に近づいてきて、いよいよ僕の休養期間も終わりかあと。そうなるとSNSに触れることも以前のように問題なくできるようになった。SNSばっかりやって勉強したり楽器練習したりするのが疎かになっちゃだめだけどね。

 そんなSNSが身近な暮らしの中で最近よく目にするのが「退廃的」だとか「エモい」だとか。どういう流行りかは分かるし、自分もそういうのに心踊らされる人間なんだけど、少し引っかかるところがある。

 なんかそういうのがアイコン化されてるというか、履き違えとまでいうと偉そうだけど、「なんか違うよなあ」って思うことがしばしば。言うなれば「退廃的が理想的」「エモの安売り」。僕なんかが偉そうに言える立場じゃないけれど、おかしいなと思う。

 例えば制服とかメイド服を来た女の子が廃墟や路地裏に立ってる構図、どこでみたとは言えなくとも見覚えがある人いると思う。ついでにタバコとか持たせたり、コンドームが散らばってたり。ポートレートっていうのかな?TwitterとかInstagramで見かける。

 あれみんなどう感じてるんだろう。確かに退廃的だし、エモいとも形容できるのかもしれない。でも僕ははっきり言うと好きじゃない。

退廃的がいいだなんて、僕は言えない。

そんなの繕ったものエモだなんて言いたくない。

 ブログだから見てる人は限られるから、はっきり言うよ。僕はそんな薄っぺらい退廃的な物語や音楽や写真に"いいね"だなんて言いたくない。

 僕がエモいなって思うのは、素敵だなって思うのは心の根源から表現したい!って、好きだから!って、世界に放ちたい!って強い熱量をもって創られた作品なんだ。

 でも決して前述したような退廃的作品を否定はしない。したくない。そういう作品も世界には必要で、それを好きで心が満たされる人もいるわけで。それにそういう作品ほど天才だ!って感嘆が漏れることも少なくないから。

あくまで僕の趣味趣向の話なんだけど。

 しょっちゅうこういう話をするからまたかよと思われるかもだけど。

 僕がこんな批評家じみた話をするのは、最近僕が曲作りとか復学とか頑張りたいって思うことが増えたから。自分を焚き付けるというか。

 もうすぐ、うつ病の診断下って1年が経つ。自殺を試みて1年が経つ。そしてwowakaが亡くなって1年が経つ。

 ぼくはもう10代ではなくなって、テン年代も終わりを告げて、そんな中で僕ができるのは僕がしたいと思うことだ。

 最近はギターやベースや曲作りに対して今までからしたら信じられないほどやる気が出てる。頑張ってるというとおこがましいし、少し違うけど、生き生きとしてる。純粋に楽しい。

 僕は退廃的になんてなれないし、なりたくない。そのかわり衝動的に生きていこうって思う。現実逃避は続けてしまうかもしれないけれど、衝動と熱量を持ち続けていれば、その先にとっても素晴らしい光景が待っているのをwowakaが、シノダが、ヒトリエが、教えてくれたから。

 楽しく生きていこうと思います。笑