柏原さんの日常

おるたなてぃぶな生活を

テーブル席にしますか、それともカウンター席ですか?

 「寄り添うことと縋ることは違う」

 これは僕の恩人が僕に投げかけてくれた言葉です。

 この言葉を言われたのは、僕が大切にしていたある人との縁が切れる直前でした。そのある人に対して僕は縋っていました。依存していたとも言い換えられるかも知れません。ひたすら醜く。それが絶縁に至った大きな原因のひとつだったのでしょう。気付くのが遅すぎた。

 それ以降ぼくは、"縋る"のではなく"寄り添う"ことを意識して仲の良い人と関わっています。けれどなかなか"寄り添う"ことは難しい。あまりにも僕の周りの人が優しすぎる。僕は何も返せていない。甘えさせてもらってばかりです。ただ、今は甘えてもいい時期というと語弊があるかもしれませんが、素直に友人からの優しさや助けを受け取っています。もし今これを読んでる友人がいるなら。言いたい。

 元気になったら必ず恩返しします。いつになるか分からないけれど待っていてくれると嬉しい。

 

 話は変わってある友人との会話でこんな話題があがりました。SNSでよく見かける「メンヘラさんと繋がりたい」とか「病み垢さんと繋がりたい」等のハッシュタグについてです。

 友人曰く「病んでる同士が集まったところで更に病むだけや」とのこと。

 僕も大方、友人と同意見です。なるべくそういうのは見ないようにしてます。その手の内容を観たり、その手の人と繋がったところで僕の症状が良くなることはないと思っているので。

 病んだ空気が詰まった空間はSNSだろうと現実だろうと苦手です。

 ただここでひとつ。

 負の感情を持ち合わせてる人が集まっても、ただ集まってるだけなら、その空間に強い嫌悪感を抱くことはあまりないです。心療内科に行くと、落ち込んだ人や暗い人が集まっています。けれど僕はそこを猛烈に忌み嫌うことはない。良くはないですけど、そこまで気になりません。それは僕の通ってる心療内科がこじんまりとしていることや、何回も通院して慣れてきたゆえなのでしょう。

 でも一番の理由は、僕が周りの患者さんたちと関わることがないからです。

 だいたい待合室では、僕も含め俯いてスマホをみたり本を読んでいたり、関わるどころか互いを視界にいれようとしない。それぞれがそれぞれの孤独を保っている。負の感情たちが近くにあっても、交わったり触れ合ったりしない。あるべき形ではあるかと思いますが、まあ独特な雰囲気です。

 しかし病院の外の現実世界や、SNSではまた違ってくる。

 病気とまではいかなくても精神が不安定な人はよく見かけます。いわゆるメンヘラという人です。具体的な線引きはよく分かってませんが。

 僕も心が弱く不安定な方なので分かりますが、どうしても心が病みがちになると、人と関わりたくなる。(本気で落ち込むとむしろ誰とも関わりたくなくなりますが)

 そしてどうしても自身と同じように心が不安定な人と関わりがちになる。それが意識的に行動に移されると、前述の「病み垢さんと繋がりたい」などといったハッシュタグを使い、心が病みがちの人たちのコミュニティが作られる。

 僕はその手のコミュニティに詳しくないのであまり言及できませんが、その病みコミュニティでは、お互いを慰め合ったり、悪い言い方をしてしまえば傷を舐めあったり、あるいは不幸自慢、病み自慢合戦がおきたり、承認欲求を満たそうとしたりと様々な事例が見受けられます。(あくまで軽くその界隈を見た僕の主観ですが。間違ってたらごめんなさい)

 どうしても僕はそれが好きになれない。自分の苦痛は自分のものでしかないわけで、そういったコミュニティでどれだけ痛みを共有しようとも、何かが解決するようには思えないからです。慰め合いや馴れ合いはよくて現状維持にしかならない。

 とは言っても僕が仲良くしてる人(あるいは仲良くなりたい人)は、僕と似ている(というと非常に失礼ですが)人が多い。心が不安定で、何かしらの苦しみや悲しみを抱えている人たち。その人たちと悲しみの共有のようなものをすることはあります。例えば愚痴言ったり聞いたり、悩みを相談しあったり。ですがどれだけ頑張っても100%お互いの痛みや悲しみを理解することはできない。僕の痛みは僕のもので、君の悲しみは君のものでしかないから。

 けれどそうすることで多少なりとも救われることはあります。

 深淵から這い上がるには自分自身でなんとかするしかないですが、登るためのロープを渡すことはできるかもしれない。そういうことです。

 

 最後に自慢になりますが、僕は周りの人に恵まれてます。

 先ほどTwitterで「友人も恋人も『精神が安定している』ひとを選んだ方がいい」との旨のツイートを見ました。確かにそうなのでしょう。そして精神が不安定な僕と仲良くしてくれる友人たちは、人を見る目も選ぶセンスもない。けれど人一倍優しさのある素敵な人ばかりです。

 (結局は僕の力量次第なのですが)寄り添って一緒に生きていける可能性を持ってる人たちです。むしろ既に"寄り添う"関係のできてるケースがあるかもしれません。正確に定義や判断できるものではないのでなんとも言えませんが。

 おそらく僕が幸福な人間関係を作るためには"縋る"ことも"依存"することもなく、互いに"寄り添う"ことができるかにかかってると思います。

 前者はテーブル席に座り、互いだけを見続けて昨日や今日の話ばかりするようなものに思います。

 そして後者の"寄り添う"というのは、カウンター席で互いに隣に座り、ときおり隣を見ながら明日の話をするような関係のことのように思っています。

 寄り添いながら隣の人(これは1人だけかもしれませんし、複数いるかもしれません)と幸福を見つけていきたいですね笑