柏原さんの日常

おるたなてぃぶな生活を

愛するために愛してほしい

 先日で成人になりました。大人の仲間入りです。寂しくも嬉しくもあります。

 自由が増えた分、責任も伴います。いつまでも子供のままではいられない。なのに僕は子供のままだ。誕生日を迎えてすぐに他人に迷惑をかけてしまった。友人宅近くの広場で小さな歓迎会をしてもらいました。せっかくなのでお酒も飲みました。お酒は苦手なので、ほろよいしか飲めませんが。

 僕はあっけなく大人になり、世界は変わらず回り続けたまま、特に変わったこともありません。ですが、ここ数日は分からないことだらけでした。というか今も思考がバグってます。

 認知が歪みに歪んで、どうしようもなく、訳の分からない日常です。成人になったことで大人としての責任感や、焦燥感が増す一方です。何をやってるんだ僕は。

 ふと僕の歪んだ脳ミソに疑惑が生じました。

 「僕は本当は鬱病なんかじゃないのでは?」

 そう思い、あーだこーだ一日中考えて、何故か断薬をしてしまいました。阿呆です。2日も経たずに心身が狂ってしまったのでやめましたが。

 内向的な性格、自己嫌悪の癖、否定的な思考、ネガティブまみれが特徴の僕です。鬱病の原因はとても複雑です。遺伝もあれば環境要因もあるし人格やショックの積み重ねなど。僕の場合はどうやら複合的で慢性的らしい。

 ただ僕が疑問なのは、どこからが病気で、どこからが人格の問題なのか。

 僕の最大の欠点は、あらゆる問題を自分の中に押し込むことです。

 これは病気うんぬんではなく、自分が闘っていかなければならない試練だと分かってます。でも本当にどうすればいいのか分からない。全部「自分のせいです」ってすれば誰も傷つかなくて済むと思ってました。自分以外の誰かや何かのせいにするのは良くないことだ。もう洗脳みたいなものです。

 

 昔から僕は優しくて誠実で真面目で、誰かのために手を差し伸べることのできる人に憧れてました。自己犠牲もいとわないような。

 けれど実際の僕はゴミ処理場みたいなものです。優しくて誠実になりたかったのが、苦しみや悲しみの受け皿になってしまいました。自己嫌悪、自己否定が義務になってました。

 確かに自己犠牲をいとわずに他者を助ける善人は存在します。そういった本当の善人は自信を持ってる。自己犠牲と自己否定(自己嫌悪)は全く違います。自分を信じられるから、自分の何かを他人に差し出せる。自分を信じれない、自分に優しくできない人が、他人に優しく出来るでしょうか。否です。

 自己嫌悪や自己否定は逃げ道です。それに自己嫌悪は他人からしたら嫌なものなのです。そんなことも分からずに自分で自分の首を締めてる。そんな処刑の現場を人に見せてしまってる。こんなの優しい人のすることではありません。

 昨日と一昨日、友人何人かと話しました。大好きで仕方の無い友人たちです。僕が誰よりも愛し助けになりたい、持ちうる限りの優しさを提供したい相手なのに。

 そう心から思っているのは、本当です。嘘偽りないと誓えます。

 けれど自分を信じれない僕は他人を信じることができていなかった。そして優しくするどころか迷惑をかけてしまった。傷つけてしまったかもしれない。悔しくて、恥ずかしくて、情けなくて。そしてまた自己嫌悪をする。自分で自分を肯定できず、信頼もできない僕は、大好きな友人に答えを求めようとした。それは一番良くないことです。自分の問題の回答は自分にしかできないし、見つけられない。

 自分で自分を優しくするのが今後の課題です。それが優しくなるための第一歩。病気と向き合っていくためにも。

 

 ただ少しわがままを言わせてください。成人祝いってことで。

 僕は誰かに受け入れてもらいたい。誰かに認めてもらいたい。誰かに「よく頑張ったね」って褒めてもらいたい。僕の言いたいことを辛い過去や悩みや不安を聞いてほしい。できるだけ心をオープンにし合って話をしたい。暖かい陽だまりの中で寄り添ってもらいたい。抱きしめて愛してもらいたい。

 

 傲慢でわがままで、ひたすらなエゴだと分かってます。あくまで願望です。全部実現しなくてもいいです。

 頼ってばかりで何も返せてない、人格と病気のせいで不快な思いをさせている、そんな不安ばかりで自己嫌悪の毎日です。そろそろ壊れ始めてます。また通院前と同じような状態になっています。毎日希死念慮を抱いてしまいます。正直辛いです。苦しいです。枯れるまで泣きたいです。

 同情してほしいとはいいません。けれどさっきのわがままを1日だけ、1度だけでいいから経験したいんです。そうしたら救われて、報われて、自分を少しでも好きになれると思うからです。そうして自分を好きになって、自分を信じることが、愛することができれば、僕の大好きな人たちに本当に優しくできる、心から愛せる気がするんです。

 

 今ならまだ甘えたことを綴っても、願っても許されますよね…。いずれ愛と優しさを返していくためにも。