柏原さんの日常

おるたなてぃぶな生活を

無気力に言の葉

 昨日、友人から相談(というほどでもないが)LINEがきた。

  「Hey 柏原 心が辛いよ」と、AIにでも投げかけるかのように。

 「心が辛い」なんてのは僕らにとってはよくあることで、問題はどのように心が辛いのかだと思うから、話を聞いてみると「無気力で何も出来ないのが辛い」という。

 やらなくちゃいけないこと、たくさんあるのに、朝ベッドから起き上がれないみたいに、行動に移せないらしい。僕にもそういうことある。というよりか、そういうことがほとんどだ。

 前から友人と精神的な話はよくしていて、共感することは多いし、納得することもある。僕自身、友人とそういった話をして心が楽になった、(大げさな言い方をすれば)救われた。

 なのに、そいつからのSOSを受け取っても、いつも僕はうまく解決してあげられない。分かっているようで何も相手のことを分かっちゃいない。伝えなくちゃいけないことがあるのに、上手く言葉にできない。

 似ていたとしても僕らは結局他人で、第一に自分の心さえ自分でなんとかすることができない僕は、そいつのために何が出来るというのだろう。助けたいだなんておこがましい。そもそも相手は助けて欲しいだなんて思っていないのかもしれない。お節介、偽善、罪悪感の払拭、ただの自己満足。

 辛いときに僕に話をふってきてくれる友人は何人かいる。頼られてることが嬉しい。でも、僕が役に立ってるのかどうかは知らない。「役に立てなくてごめんね」というと、だいたい「いいよ、話を聞いてくれるだけでよかったから」と返される。実際のところ本当に「話を聞くだけ」でもいいのだろうし、それだけで、話を聞いて肯定してあげるだけで充分正解なんだろう。

 今回もその友人の話を聞いた。無駄にでしゃばる必要も無い。だけどそのとき、どうしてもかけなきゃいけない言葉があるように思った。かといってうまく言い表せない僕は、「とりあえず」と言ってSyrup16gの「I・N・M」のURLを貼った。I・N・M - YouTube

  「良い曲だね、何回も聞いた」という友人。お世辞かどうかは分からない。ホントに良い曲だと思って、心がほんの少し楽になったのかもしれない。

 そんなことよりも、僕は上手く言葉を紡げなかった。誰かの言葉を借りた。感情を表すことを放棄した。友人より僕の方が、怠惰で無気力ともいえる。情けない。

 言葉そのものは命を持たないし、無価値だと思う。けれど、言葉は感情を映し出したときに生きるもので、大事なことは何一つとして言い表せない自分はつまらない人間だと思う。

 簡単に、誰にでも言葉を贈ることのできるのに、自分は中身のない抜け殻を増やしているにすぎない。

 僕は今、この言葉が溢れかえった世界で、誰かのためにも、自分のためにもならない作り物の言葉ばかりだけを流してる。生きている言葉は、いつまで経っても吐き出せやしない。