柏原さんの日常

おるたなてぃぶな生活を

平成最後の三ツ矢サイダー

 僕の家には冷蔵庫がない。

 上京するときに買っておくべきだったのに、その時何故か「無くても困らないだろう」という考えに至り、冷蔵庫無しで新生活4ヶ月目を迎えてしまった。

 ところが気がついたらもう東京は夏だ。茹だるような暑さと張り付いたシャツにイライラしつつ、どこか爽やかさを感じる季節。暑いのはとても嫌いだけど、夏はそんなに嫌いじゃない。特別な季節だと思う。夏には特別な瞬間がたくさんある。例えば、炎天下の中で歩き疲れて、頭の悪いほど冷房の効いたコンビニに入った瞬間とか、誰もいない午後三時の駅のホームでセブンティーンアイスを食べる瞬間とか。特に僕が幸せを感じるのが、暑い中、帰宅してすぐにキンキンに冷えた三ツ矢サイダーを飲む瞬間だ。

 しかし、残念なことに今家には三ツ矢サイダーをキンキンに冷やしてくれる冷蔵庫がない。だから帰ってきて机の上に置いてある三ツ矢サイダーを飲んでも、最悪だ。生ぬるくて、炭酸も抜けて、三ツ矢サイダー三ツ矢サイダーたらしめている良さが一つもない。そんなのを飲み干すと、どうもやるせない気持ちが残る。酷いときは今までの人生すら思い詰める。

 思えば、生ぬるいサイダーを飲み干すような感覚でここまで生きてきた。

 僕はそろそろ19になる。平成だって今年で終わる。1999年というノストラダムス先生が世界滅亡を予言した年に生まれ、平成最後の年にラストティーンエイジを過ごす僕のここまではどんなものだったろうか、と思い返してみても大して華やかではないことに気づく。やるせなさを感じるほど平凡。ときどき夢を描いても、何かが起こったためしはない。結局僕が生まれても世界は滅びることなく、時間だけが経っていったし、きっと平成もなんてことなく過ぎ去っていくんだろう。

 惰性と受容と諦観でここまで辿り着いた。相変わらず。それでも何か起こるんじゃないか、変わるんじゃないかって期待してる自分がいる。大学に入って退屈な大人になったかと思ったけど、まだティーンエイジ精神は残ってるみたい。と言ったところで何もしなけければ、今まで通り何も変わらないわけで。ただ大それたことは思いつかないが、せめて、この卓上に気だるそうに立っている生ぬるい三ツ矢サイダーを冷やすことぐらいはできるんじゃないかって思う。だから明日は、まだ行ったことのない隣町へ、冷蔵庫でも探しに行こうと決めた。