柏原さんの日常

おるたなてぃぶな生活を

思いのままに書いた雑記

 「今使ってる薬をマックスまで増やしていく方向で」

 そう、医者から告げられた。彼は精神科医であってカウンセラーじゃない。僕の家庭環境やら最近のゴタゴタやら、込み入った話をしたところで、やっぱりそう対応するしかないんだ。

 前回も同じようなこと話して、同じ「クスリを増やす」ということに収束した気がする。

 別に駄々をこねるつもりはない。ただ空虚な気分が続くだけ。それに担当医に嘘はついてない。隠してることもない。本当のことを、全部話しているつもり。打ち明けてないことがあるとしたら、それは尋ねられてないからで、必要ならば話す。

 上から目線に聞こえるかもしれないけれど、担当医は決してハズレじゃない。比較対象もないし、僕は患者であって専門家じゃない。けど何となく、この人は医者として間違ってることはしていないのは何となく分かる。信用はしてる。ヤブ医者なんかじゃないし、クリニックそのものも含めて、そこを選んだのは最適解にとても近いと思う。

 だから話すことは話す。けれど、それでどうにかなるわけじゃない。医者は医者、カウンセラーではないし、ましてや友人でもない。月2〜3回会うだけ。僕の話を聞いて、症状を整理し、医者として対処する。対処するといっても適切だと判断した薬を、適切な量で処方していくだけだ。

 ただ、楽だ。通院するために身体を動かすのは面倒だけど、診察自体は苦じゃない。可もなく不可もなく。それが気楽だ。

 最初は精神科や担当医に不安や疑念を抱いていたし、精神病の薬が少し怖かった。同時に期待し過ぎてた。こんなんで良くなるのか。いや風邪やインフルエンザが治るように、精神病も薬で治るんだろう。そんな感じ。

 毎回の診察で薬が増えるのはお約束だ。今はイフェクサーSRという、何やら最近日本で認可されたらしい抗うつ剤を毎度増やされている。新しい薬だから薬価が高い。今のところ何かが大きく変わった心地はしない。いつか、いつか効き始めるんだろう。こういうのは服用し続けるのが大事なんだと、言い聞かせながら、通院し、処方薬を買い、毎日朝と夜に飲む。

 うつ病はまず休みなさい。らしいので休学して、ぐーたらしてる。バイトもできる範囲でやってはいるものの、傍からみたら怠けてると思われるんだろうなあ。

 学校行ってる人はもうテスト期間の真っ最中だ。シビアになってるんだろうな。僕をみて羨ましいよとか皮肉言われても仕方ないかな。

 でも辛いものは辛い。何かしなくちゃと焦るけど、何もできない。寝て起きて、目が覚めていてもなかなか布団から出れず、出たら出たで映画を観たり、本を読んだり、適当に時間が流れるのを待つ。楽な生活で良い身分だなと言われちゃうな、みんなは今頃一生懸命頑張って勉強したり、働いたり、社会の歯車になって世界を回してくれる。それで自己嫌悪して焦燥感と罪悪感に苛まれて、何かをしなくちゃ!と緊迫感がやってくるんだけど、何もできない。そもそも何をするんだ。

 ブログはいい。ブログは好きなときに好きなように書ける。もちろん見てくれる人がいるのも、中には褒めてくれる人がいるのも嬉しいけど、それはおまけだ。僕がしたくてしてるんだ。何かやろうとして、何も出来ないから、こういうふうに文字の羅列を書き連ねて、一時的に気を紛らわせてるんだ。

 見たい人は見てねという公開日記みたいなもので、SNSよりも気が楽だ。Twitterなんか、嫌でも目に入る。色んな人の色んな感情、色んな思想。悪口だろうが賞賛だろうが、正しかろうが不確かだろうが、僕にとっては"ノイズ"になりやすい。悪意のあるなしじゃないから、なかなか理解してもらえないんだけど。そもそも無理に理解しなくてもいいですから。

 京アニの火災事件を発端にBADに入った。久々に深くまで落ちた。何もできない、何もしたくない。京アニは僕の愛する物語を、アニメというかたちで、届けてくれた大切な存在だから、もちろん事件自体も悲しい。たとえ自分と直接的に関係なくても、悪いニュースで僕の心は揺らいでしまうのに。ここ最近はどうやら世間は良くも悪くも動いてるみたい。

 何よりTwitter等で色んな人が、色んなことを言っている。追悼、哀惜、憎悪、感謝、悪意、善意、もうそれはたくさんの思想が、たくさんの感情が、たくさんの意見が波のように押し寄せる。タイムラインをスライドする度に嫌でも目に付いてしまう。

 別に発言することは悪くない。意見や思想は個々で違うし、それを発信することは悪いことじゃないんでしょう。正しいか否か、善か悪かとかそういう問題じゃない。僕の心が複雑で弱いせいだ。誰のせいでもない。

 SNSは心に悪い。分かってる。そう言いつつもSNSを使ってしまう僕が悪い。

 でも本当に無理になったときは僕はTwitterSNSから離れるようにしてる。みんなの"つぶやき"がいとも簡単に、無条件にノイズに変わってしまうから。心がパンクしてバグっちゃうから。

「聖域から言いたい放題いいやがって!」

「本当に辛い思いをしたことないくせに!」

「つけ刃みたいな教養で偉そうに!」

「本当は自分を見て欲しいだけのくせに!」

 「でも、僕は?」

 「僕もそうやって憎んだり、イラついたりできる立場なの?」

 「僕だって無教養でしょ?自分を見て欲しいんでしょ?」

 「中途半端な不幸に酔ってるだけでしょ?」

 「ほら、人のこと言えないじゃない」

 「憎しむ資格あるの?イラつくほど苦しい思いしてきたの?」

 「ただでさえ能無しなのに、鬱病を肩書きに偉そうにしてるだけじゃん」

 「口だけ、憎しむだけ、病名と中途半端な境遇に甘えて、肯定してもらおうとしてる」

 「一番醜いのは僕じゃないか」

「ごめんなさい、僕はクズだ」

 「そうやって過剰に自己嫌悪することで謙虚になってると思い込む」

 「最低」

 「最悪」

 「事実だけど、事実にしてるのは僕自身」

 「ごめんなさい!ごめんなさい!許して欲しいの?許して欲しいんです!甘えだね!分かってる!分かってるってそれ保険でしょ?そうです!常に嫌悪して卑下して憎んで愛そうとして中途半端!中途半端だね!一生クスリ飲んでろ!治るの?治ると思ってる!思ってるってなに?分からないもの!逃げるのね?逃げてない!逃げてないふりをして逃げようとしてる!見え透いてるはず!自分自身で!分からないもの!また逃げた!ごめんなさい!誰に謝ってるのさ?分からない!誰かに許してもらおうとしてる!そうさ!開き直ってさ!分かってるんだ!他者に正解を求めてるくせに!ごめんなさい!肯定してもらおうとしてるくせに!ごめんなさい!自分だよ!ごめんなさい!謝るのも!ごめんなさい!最後は自分だよ?ごめんなさい!認めるのも決めるのも愛するのも!ごめんなさい!最果ては自分なの!ごめんなさい!傷つけてるのは自分自身だ!ごめんなさい!愛するのは自分!ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!そして愛して!愛して!愛して!自分を!愛して!自分から!愛して!隣の人を!愛して!そうして世界を!愛して!憎んで!愛して!憎んで!愛して!善意を!悪意を!生を!死を!昨日も!今日も!そして明日も!愛しなさい!憎しみなさい!認めなさい!自分を!自分から世界を!世界が自分だと!愛して!愛して!愛して!愛して!愛して!愛して!愛して!愛して!ごめんなさい!許して!憎い!愛して!愛して!愛して!ごめんなさい!愛せない!愛したい!うぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

 悲惨な事件が起こる。理不尽な世界だと知る。その世界に人は言葉を投げる。様々な感情、思想、意見、感覚を添えて。

 なれるものなら天使になりたい。

 神様がいようがいまいが世界は理不尽だ。

 だからなれるなら天使になりたい。

 人であって天使でありたい。

 地上から声が、善とか悪とか関係なくノイズになって僕に届く。僕も僕自身にノイズを投げる。深淵に落ちる。心は曇天みたいに、身体は鉛のように。動けない。ごめんなさい。ほとんど何もできない。辛いんだよこっちは。それでも何とかやってるんだよ!分からなくていいから、そういうときはやめておくれ。一人で深淵にいる方が気が楽なんだ。

 でも気分が晴れやかな日には、屋上に立って賛美歌を流したい。

 地上から対空砲火を受けても。

 憎しんでも、苛立っても、まだ自分も他者も本当の意味で受け入れられてなくとも。

 孤独なのは分かってるから、好きなように、自由に、憎しみが伴うかもしれなくても、なるべく多く愛を込めて賛美歌を。

 僕の悲しみも痛みも苦しみも分かるもんか!

 君の悲しみも痛みも苦しみもわかんないもの!

 僕が世界で一番悲しくて不幸なんだ!

 君も世界で一番悲しくて不幸なんだ!

 みんな世界で一番悲しくて不幸なんだ!

 それでいてね、きっとね、絶対ね、

  僕が世界で一番幸福なのさ!

  君が世界で一番幸福なのさ!

  みんなが世界で一番幸福なのさ!

 

 孤独だからね!共同体になれないからね!なっちゃだめだ!でも難しいね!

 

 人と同じようになりたくないって考えてる時点で人と同じ。孤独であろうとすると、自由になる、けど人を求める。一緒になりたくなる。でも孤独。自由だもの。一緒になるかもね。でも孤独。そうじゃなきゃ愛も幸福も存在しないもの。

 

 

 とにかく天使になりたい。

 そういう世界で天使になりたい。

 でも天使にはなれないだろう。

 天使は思うものだ。思い描くものだ。僕がなるものじゃない。天使を見出すことが、僕を愛することで、天使であろうとすることが他者や世界を愛することだ。完全な善でもなく完全な悪でもない。絶望も希望もどちらにも偏らない、至って人間らしい天使。

 

そんなこと考えてたら七尾旅人の『雨に撃たえば…!』を聴き終えちゃった。今日の賛美歌はこの辺で。