柏原さんの日常

おるたなてぃぶな生活を

先生の話

大学に入ってから塾講師のバイトをしている。最近「分かりやすかった!」とか「先生のおかげで点数伸びた!」とか言われる。素直に嬉しい。高校時代からいくつかのバイトの経験はあったけど、塾講師が一番楽しいし生き生きと仕事ができてる。

 別に教育の職業に興味があったわけでもないし、今のところ教職免許を取るつもりもない。むしろ両親が塾講師だったことへの反抗心もあって、前までは塾講師なんて死んでもやるか!と思ってた。とは言っても血は争えない。代々教職の家系だし。

 実際自分が教える側に立ってみると視野は広がるし、今までなんとなく受け入れてきたものの意味が分かったりもする。

 もちろん学問的な意味もそうなのだけれど、別の意味でも気が付く点が多い。もしかしたら父親はこんな気持ちでいたのかもしれないとかそんなところ。

 

 話は変わって僕には一人だけ恩師と言える人がいる。それは高校時代のクラス担任。僕は特進クラスとかいうのに入っていたので3年間同じ人と顔を合わせていた。クラス担任も3年間同じ。それでいて日本史の担任でもあった。

 僕は高3の6月末まで勉強という勉強をしてこなかった。それまでは読書して音楽聴いて無断バイトやってバンドして…とまあ惰性で生きてきたって感じ。高3上がるあたりの模試では英語の偏差値なんて40台だったし、60超える科目なんてまずなかった。ただ担任の教える日本史だけは大好きで、日本史だけ偏差値80越えとかよく分からない結果に。担任の教える日本史は分かりやすくてめちゃくちゃ面白い授業で、それが唯一の楽しみで学校にかよっていたまであった。僕がなんとか受験勉強をし始めることができたのも、日本史のおかげといっても過言ではない。(それにクラス担任として進路のことを親身に考えてくれたり、やる気がでるようにあれこれしてくれたのも大きかった)

 僕がその担任を恩師だと思うのは勉強面だけじゃない。たびたび話に出しているように、僕の家庭は当時よろしくない状態で、僕もあまり心が安定しないときもあった。それに部活は即幽霊部員化して毎日帰宅に精を出す生活だったし、高3の一学期頃まで学校で友人と呼べる人はいなかった。そんな中で担任はずっと気にかけていてくれたし、プライベートなところでもたくさん良くしてくれた。

 一度僕がやらかしてしまったことがある。具体的には言わないが、そのとき学校一忙しい担任が1・2限を潰して空き教室で僕を説教した。なかなか声を荒らげることのない担任が怒鳴り声を上げたときの光景はいまでも覚えてる。言ってしまえばただ怒られただけなのだが、その時の話にも、その後の対応にも愛のようなものを感じた。亡くなった父親と重なった部分もあった。そのとき久しぶりに何か暖かいものにふれた気がして、それ以来担任のことを恩師に思っている。

 

 と色々と先生のことを思い出したので書き連ねたけれど、今自分はバイトと言えども「先生」の肩書きは背負ってるわけで、あの担任みたいになれればいいななんて思う。「なれればいいな」というと軽いか笑。ただ理想の教師像があるとしたら間違いなくその担任だ。そして実際「先生」の立場に立ってみると、当時なんとなく受けいれていた担任の言葉とかやりとりの意味が分かってくる。まったく今更だよ。