柏原さんの日常

おるたなてぃぶな生活を

ラストティーンと回転木馬と三月と

 今日でとうとう19歳になってしまった。

 正直ここまでくるなんて思ってなかった。去年の今日もそうだったけど、何が失われたような感覚がある。モラトリアムがちゃくちゃくと終焉に向かってる。ひしひしと、じりじりと、足音を立ててこっちに近づいてきている。

 時の流れに敏感に、そして悲観的になってきた。いずれ、あれほど嫌ったはずの退屈でつまらない大人になるのだと思うとやるせない。そうならないように足掻いてはいるつもりだけど。

 それでも以前より、大人になることを、生き延びることを肯定的に捉えられるようにもなってきた。僕は永遠に少年でいられないし、ましてやカート・コバーンにも志村正彦にもなれやしない。なんやかんや生き延びていくんだろうなと思う。別にカート・コバーンになれなくても、木下理樹はなんやかんやで40過ぎても「子供たちのシェルターとなるように」と音楽を続けているし、歳をとってからみずみずしい作品を世に出している作家もたくさんいる。そういう存在になれたらいいな、なりたいなって願いながら、日々何かを積み重ねていけばいいかなって、そう思う。

 とは言っても失われたものは少なくない。放課後一人で過ごす図書室も、夏の日プールの塩素の匂いも、初めてNumber Girlを聴いたときの衝撃も。全てもう感じることのないもので、記憶からも消えていくのかもしれない。昔から何かを失うことに敏感だったので、こういうのも酷く悲しい。

 それでも永遠は何かしらあると思ってる。いつだか、誰かが「ライ麦畑でつかまえてはティーンのうちに読んでおかなければならないし、歳をとるにつれて価値が薄れていく。でも最後の回転木馬のシーンだけは永遠なんだよ」と言っていた。もしそうならいいな。クソつまらない日々を送ってクソつまらない人間になったとしても、回転木馬のシーンを読んで、一瞬だけでも優しい人に、ティーンの頃に戻れるのだとしたら、それは何よりも素晴らしいことなんじゃないかと思う。

 最後に、ラストティーンを迎えるにあたってBalloon at dawnというバンドの「三月」という曲を聴いているのだけど、これもまたある種、一つの永遠のように感じている。そして永遠でもあるし、モラトリアムが終わる人間の答えの一つのでもあるんだろうね。

Balloon at dawn /三月(OFFICIAL MUSIC VIDEO) - YouTube

「三月はいつも終わりだね」って

カーテンの向こうで言う

 まあ今8月なんですけれども。