柏原さんの日常

おるたなてぃぶな生活を

深夜0時のコインランドリー

 大学進学のために上京してから10日が経った。依然として何かが進展したような心持ちはしない。大学構内ではどこか楽しげな、開放的な雰囲気が充満していて、自由を歓迎するダンスホールのようにも思える。それはもちろん僕も同じで、自由が増えたのは事実だ。辛気臭い家庭もよく分からない校則もなく、自分が好きなように選択して生きていけるわけで、不自由なことがあるとしたらまだ洗濯機と冷蔵庫がなくて困ってる程度。

 だけど多分自由ってのは孤独に近いものだと思う。自分を取り巻くしがらみを全て捨て去ったのが自由だと言うなら僕はそんなもの欲しくはないし、僕が欲しいのはほんの少しの安心で、心の許せる空間なんだ。

 さっきも言ったように僕はまだ洗濯機を買っていない。だから定期的にコインランドリーに来てる。どうでもいいけど僕は深夜の誰もいないコインランドリーが好きだ。そこで音楽を聴きながら、チューハイを飲んで、グルグルと回る洗濯機を見るのが最近の趣味になってきてる。グルグル回る洗濯機にはどこかハムスター的な可愛さがあって愛着が湧いてきてるとかきてないとか。

 まあそこまではいかないにしても一人で落ち着けるのがこの場所のいいところだ。でも寂しいことは寂しい。となりに他愛のない会話を楽しめる子でもいたらななんて思う。

 例えば高校の友人なら僕が

「なあ、この洗濯機同じところを繰り返し回り続けてさ、バカみたいだなって思うけど僕らも大概だよなぁ」

 って言えばきっと呆れた顔をしながらも、あーだこーだと取り留めのない話をしてくれるだろうけど、実際友人たちは近くにいないわけで。仕方なく、これまたベタだけどくるりの「東京」を流して気を紛らそうとしても逆によりしんみりしちゃって。本当に洗濯機と変わりない生き方だ。

 東京に来てからそんなこんなで閉塞感をより感じるようになったけど、その生活の中で欲しいのは自由じゃない、やっぱり安心感。ほんの少しの幸福。例えばいつの日か人の少ない図書室や放課後の教室でそうしたように、深夜のコインランドリーで他愛のない会話ができる女の子がいてくれたらなと思う。その子は僕と同じような閉塞感や不安感に苛まれていて、水曜日24時のコインランドリーで、最近の出来事や愚痴や、小説や映画の話や、他愛のない会話をする。ライトノベルの読みすぎな気もするけど、本当にそれだけでいいんだ。僕にとって幸福はそういう他愛のない空間にあるのだろうし、今僕を救ってくれるものがあるとしたら間違いなく、深夜0時のコインランドリーで憂鬱そうにしてる女の子だと思う。