燃えるスカートの少女
今、前使っていたスマホの画像データを整理している。たった2、3年前なのにとても懐かしい。思い出は綺麗だ。経験した出来事はだいたい当時よりも時間が経ってからの方が美しく感じる。
以前僕が図書委員会の会報か何かで書いた書評が出てきた。エイミー・ベンダーの『燃えるスカートの少女』、僕の好きな一冊。
当時はあまりにも悲しいことだらけだったし、クラスにも馴染めなかった。周りにいる人が好きになれなかった。昼休みは机に突っ伏してTwitterをやるか、音楽聴くか、あるいは図書室に行って本を読むか。典型的なキモオタクだ。地球環境にも悪影響を及ぼしてたに違いない。
まあそんなだからこそ、出会う音楽や本はあまりにもみずみずしく感じた。ART-SCHOOLやRadioheadに本多孝好、橋本紡と他にもたくさん。そしてこの『燃えるスカートの少女』もその中の一つ。
これが書評の写真。好きな作品なのでで周りの3〜4倍くらい書いてしまって、図書室の司書さんを困らせてしまったのも懐かしいな。この作品とこの書評がきっかけで今でも仲良くしてる友人と話をするようになったから、それも含めて思い出。
僕は当時、内容はもちろん、エイミー・ベンダー の文章にとても惹かれた。こんなに冷たくて優しい文章があるんだって。女性特有の、きっと僕には書けない文章だなって。
だけど、この翻訳をしている管啓次郎氏はれっきとした男性だ。すごいな。原文を読んだことないからあまり言えないけどすごいと思う。僕は翻訳家を気にすることはまず無いし、よく知らない。管啓次郎氏は僕が名前を言える翻訳家の数少ない1人。翻訳もそうだし、僕は管氏著の「さびしいと思っていた世界に抱きしめられる」という題の解説も含めてこの作品が好きなのだ。僕もこの物語を読んだとき「さびしいと思っていた世界に抱きしめられ」た。確かに抱きしめられたんだ。
そんな僕を抱きしめてくれた作品の翻訳家、管啓次郎氏は奇遇なことに僕の進んだ大学の教授だった。なんだか不思議な気持ちだ。残念なことにキャンパスが違うけれど。それでもすぐに行けるキャンパスだ。なかなか時間が合わなくて聴講にいけてないけど、いつか行ってみたい。そして一度でいいからお話できたらなって思う。
なんだか美化された思い出が今間近になって戻ってきたような、そんな感じがする。
先生の話
大学に入ってから塾講師のバイトをしている。最近「分かりやすかった!」とか「先生のおかげで点数伸びた!」とか言われる。素直に嬉しい。高校時代からいくつかのバイトの経験はあったけど、塾講師が一番楽しいし生き生きと仕事ができてる。
別に教育の職業に興味があったわけでもないし、今のところ教職免許を取るつもりもない。むしろ両親が塾講師だったことへの反抗心もあって、前までは塾講師なんて死んでもやるか!と思ってた。とは言っても血は争えない。代々教職の家系だし。
実際自分が教える側に立ってみると視野は広がるし、今までなんとなく受け入れてきたものの意味が分かったりもする。
もちろん学問的な意味もそうなのだけれど、別の意味でも気が付く点が多い。もしかしたら父親はこんな気持ちでいたのかもしれないとかそんなところ。
話は変わって僕には一人だけ恩師と言える人がいる。それは高校時代のクラス担任。僕は特進クラスとかいうのに入っていたので3年間同じ人と顔を合わせていた。クラス担任も3年間同じ。それでいて日本史の担任でもあった。
僕は高3の6月末まで勉強という勉強をしてこなかった。それまでは読書して音楽聴いて無断バイトやってバンドして…とまあ惰性で生きてきたって感じ。高3上がるあたりの模試では英語の偏差値なんて40台だったし、60超える科目なんてまずなかった。ただ担任の教える日本史だけは大好きで、日本史だけ偏差値80越えとかよく分からない結果に。担任の教える日本史は分かりやすくてめちゃくちゃ面白い授業で、それが唯一の楽しみで学校にかよっていたまであった。僕がなんとか受験勉強をし始めることができたのも、日本史のおかげといっても過言ではない。(それにクラス担任として進路のことを親身に考えてくれたり、やる気がでるようにあれこれしてくれたのも大きかった)
僕がその担任を恩師だと思うのは勉強面だけじゃない。たびたび話に出しているように、僕の家庭は当時よろしくない状態で、僕もあまり心が安定しないときもあった。それに部活は即幽霊部員化して毎日帰宅に精を出す生活だったし、高3の一学期頃まで学校で友人と呼べる人はいなかった。そんな中で担任はずっと気にかけていてくれたし、プライベートなところでもたくさん良くしてくれた。
一度僕がやらかしてしまったことがある。具体的には言わないが、そのとき学校一忙しい担任が1・2限を潰して空き教室で僕を説教した。なかなか声を荒らげることのない担任が怒鳴り声を上げたときの光景はいまでも覚えてる。言ってしまえばただ怒られただけなのだが、その時の話にも、その後の対応にも愛のようなものを感じた。亡くなった父親と重なった部分もあった。そのとき久しぶりに何か暖かいものにふれた気がして、それ以来担任のことを恩師に思っている。
と色々と先生のことを思い出したので書き連ねたけれど、今自分はバイトと言えども「先生」の肩書きは背負ってるわけで、あの担任みたいになれればいいななんて思う。「なれればいいな」というと軽いか笑。ただ理想の教師像があるとしたら間違いなくその担任だ。そして実際「先生」の立場に立ってみると、当時なんとなく受けいれていた担任の言葉とかやりとりの意味が分かってくる。まったく今更だよ。
メイドカフェにて
今日HoneyHoneyという秋葉原のメイドカフェに行ってきました。
以前に一度別のメイドカフェには行ったことがあるのですが、そこはエンタメ系と言われるタイプのメイドカフェでした。猫の世界という設定で、僕もネコミミをつけて色んな場面でニャンニャン言わなくてはならなく、初心者にはかなりレベルの高い感じがしました…苦笑。まあ本気でニャンニャンしましたが。
実際楽しかったですし、満足感もあったのですが、僕もあまり明るい人間ではありませんし、もう少し落ち着いたところがいいなと思っていたので、今回はクラシカル系と呼ばれているHoneyHoneyに行くことにしました。
料理しか写真撮れなかったので店内のはありませんが、普通の喫茶店みたいでかなり雰囲気良かったですね。落ち着いた感じがグッド。
何より料理が美味しかったです。こういうお店ってあんまり料理が美味しくないという偏見が少しあったので、申し訳なく思いつつもたいへん美味しくいただきました。
オムライスにうさぎさんの絵を描いてもらいました…!
クラシカル系で落ち着いてるとはいっても、メイドさんが時折話しかけてきてくれます。
「お料理どうでした?」とか「どういった経緯でご来店されたのですか?」とかそんな他愛のない感じで。
笑いが何度も起きる会話ではないですが、結局のところ僕がしたいのはそういう他愛のない話でしたから、とても心地よく会話をしました。なかなか他愛のない話をする機会ってなくて、僕は他愛のない話をしたい人なので、そういった話をできるのは、なんかいいなぁなんて。
以前、「お前メイドさんかわいい〜!やさしい〜!って、そのメイドさんたちは商売でやってるんだからな」と友人に言われたことがありました。
もちろんメイドカフェはそういう商売だってのは分かっていますし、お客もお店も互いにそれを理解しているからこそ楽しめる空間なんじゃないかと思います。ディズニーランドみたいに、夢の国という「設定」を理解して楽しんでいるのと似ている気がします。
いわば虚構の世界なんでしょうね。小説や映画や演劇とも同じように、虚構にのめり込んだ方がより楽しめる世界。
作り物だと分かっていても、確かに僕の目の前には「やさしい世界」が広がっていましたし、僕はそれに騙されて楽しんでいました。
あくまで虚構ですが、メイドカフェは僕の望んでいた一つの世界線なんじゃないかと思いました。
秋葉原のHoneyHoney、おすすめなのでみなさんもぜひ一度行ってみてはどうでしょうか?
憎しみの代わりに愛すること
憎しみの代わりに愛することができたなら、世界は少しだけ良くなるんじゃないかと思う。
僕の父親の実家は東日本大震災の被災地だった。僕に近い親族の多くは海抜の高いところに住んでいたから無事だったけれど、港の方に住んでいた親族は何人か亡くなったそうだ。
当時小学生だった僕は、震災の年の夏に、実際に被災地を見に行った。海辺の街は跡形もなくなり、瓦礫をまとめて集めた山がいくつも出来ていた。どうしようもない空虚さを誤魔化すように、ただそこにいくつもそびえたっていた。SF映画でみたような「世界の終わり」なんて素晴らしいものではなく、中途半端に世界が終わってしまい、行き場のない絶望が漂う、そんな残酷さを感じた。
祖母がこんなことを言っていたのを覚えている。
「戦争はね、憎むものがあったのにね。この地震はなんにも憎めないよ」
戦争は憎む対象が明確だ。仇がいる。敵国がそうだし、人によっては自国の政府や憲兵なんかを恨むかもしれない。けれど震災は違う。基本誰のせいでもない。神様を憎んだってどうしようもない。
絶望や喪失の前に立たされたときに、憎めることはある意味では救いだと思う。それで現状が変わることはないが、少なくとも消失感を埋める感情にはなり得るし、これからの原状回復に向けた強い行動原理になるかもしれない。憎しみは心の埋め合わせにはバッチリだ。
僕が父親を亡くした直後、母親と口論になるたびに「人殺し」と罵ることが多々あった。もちろん母親は直接父を殺したわけではないし、父が亡くなったのはアルコール摂取量が多くなったことによる肝臓と腎臓の病気が大きな要因だ。しかし、僕はどうも母親がいなければ父親は生きていたように思っていた。母が毎日のように父親に罵詈雑言を浴びせて、ひどい扱いをしていたから、お酒の飲む量ががどんどん多くなり結果的にこういうことになってしまったのだと。本当はそれ以外にも父親の飲酒量を増やす心理的な圧力はあったし、正直こじつけのようにも聞こえるが、僕は本気でそれを理由に母親を憎んでいた。母親との確執は昔から存在していたとはいっても、当時の僕は心を埋め合わせるために母親を憎んでいた。「人殺し」と平気で言うほどに。
憎むことは僕の中で正当化されて、絶対悪を作ることで心の安寧秩序を守っていた。
とは言っても喪失感は時間とともに薄れていって、僕も大人になり母親を憎むことが無意味だと悟った。
今では母親との関係は改善されてきている。仲良し親子とまではいかなくても、そこそこ明るい関係は築けてきているのではないかと思う。
ただ、問題は父方の親族との関係で、先日母親と父方の祖母が電話する機会があったのだけれど、祖母は母親をよく思っていないらしい。なんなら生前父と母が離婚してから母方の姓を僕が名乗っているのにも嫌な様子だったという。祖母は僕の母を憎んでいてもおかしくはない。だって殺しまではいかなくとも、自分の愛息子の人生を乱した1人ではあるのだから。相当な虐めもやっていたわけで。それは仕方がないこと。僕だって母親との関係が良くなっているとはいえ、未だに腑に落ちていないことも多々ある。
だけど、憎しみの代わりに愛することができたなら、それが一番の救いになると思ってる。
今までのことを考えれば、母を憎むことはなんら悪いことではないだろうし、僕は僕の道徳のためにも憎むべきなのかもしれない。
けれども父は僕と母の関係が良好になることを望んでいたし、親子なら愛し合うような関係が一番だと思っていた人だった。
だから僕は母親を憎むかわりに愛したいと思う。許すとか許さないとかではなく、愛すること。きっと本当に愛するためには長い時間が必要となってくる。それでもいつか愛せたらなと思う。
舞城王太郎の「好き好き大好き超愛してる」という僕の大好きな小説があるのだけれど、その冒頭にこんな記述がある。
愛は祈りだ。
僕は祈る。
僕の好きな人たちに皆そろって幸せになってほしい。
それぞれの願いを叶えてほしい。
温かい場所で、あるいは涼しい場所で、とにかく心地よい場所で、それぞれの好きな人たちに囲まれて楽しく暮らしてほしい。
最大の幸福が空から皆に降り注ぐといい。
「憎しみは何も生まない」なんてよく言うけど、その通りかもしれない。何かしら生むとしてもそれは良くないものだろうし、そんなことよりもみんな幸せになった方が結局はいい。綺麗事で、本当はそんな平和な世界にはなりえないのだけれど、少なくとも祈ることはできる。だから祈る。愛することで祈る。
あれほど憎んだ母親も、亡くなった父親も、僕の母親をよく思っていない祖母も、他の親族も、もちろん友人も、あるいは何も無くなった港町も、笑顔を取り戻して日々頑張って過ごしていくそこの人たちも、そして彼らから大切なものを奪い、僕の思い出も消し去った海も。全部愛せればと思う。憎しみのかわりに。愛は祈りだから。
ラストティーンと回転木馬と三月と
今日でとうとう19歳になってしまった。
正直ここまでくるなんて思ってなかった。去年の今日もそうだったけど、何が失われたような感覚がある。モラトリアムがちゃくちゃくと終焉に向かってる。ひしひしと、じりじりと、足音を立ててこっちに近づいてきている。
時の流れに敏感に、そして悲観的になってきた。いずれ、あれほど嫌ったはずの退屈でつまらない大人になるのだと思うとやるせない。そうならないように足掻いてはいるつもりだけど。
それでも以前より、大人になることを、生き延びることを肯定的に捉えられるようにもなってきた。僕は永遠に少年でいられないし、ましてやカート・コバーンにも志村正彦にもなれやしない。なんやかんや生き延びていくんだろうなと思う。別にカート・コバーンになれなくても、木下理樹はなんやかんやで40過ぎても「子供たちのシェルターとなるように」と音楽を続けているし、歳をとってからみずみずしい作品を世に出している作家もたくさんいる。そういう存在になれたらいいな、なりたいなって願いながら、日々何かを積み重ねていけばいいかなって、そう思う。
とは言っても失われたものは少なくない。放課後一人で過ごす図書室も、夏の日プールの塩素の匂いも、初めてNumber Girlを聴いたときの衝撃も。全てもう感じることのないもので、記憶からも消えていくのかもしれない。昔から何かを失うことに敏感だったので、こういうのも酷く悲しい。
それでも永遠は何かしらあると思ってる。いつだか、誰かが「ライ麦畑でつかまえてはティーンのうちに読んでおかなければならないし、歳をとるにつれて価値が薄れていく。でも最後の回転木馬のシーンだけは永遠なんだよ」と言っていた。もしそうならいいな。クソつまらない日々を送ってクソつまらない人間になったとしても、回転木馬のシーンを読んで、一瞬だけでも優しい人に、ティーンの頃に戻れるのだとしたら、それは何よりも素晴らしいことなんじゃないかと思う。
最後に、ラストティーンを迎えるにあたってBalloon at dawnというバンドの「三月」という曲を聴いているのだけど、これもまたある種、一つの永遠のように感じている。そして永遠でもあるし、モラトリアムが終わる人間の答えの一つのでもあるんだろうね。
Balloon at dawn /三月(OFFICIAL MUSIC VIDEO) - YouTube
「三月はいつも終わりだね」って
カーテンの向こうで言う
まあ今8月なんですけれども。
終末と青い車
友人とのLINEでこんな話題が持ち上がった。
「もし世界が終わるとしたらどう過ごす?」
僕は彼女と人気のない海岸に行って、「世界終わっちゃうね〜」なんて焦りもなく他愛のない話をしたい。それで出来ればスピッツの「青い車」をBGMにしたい。まあ彼女おらんけど。
その友人も別段派手なことはやりたくないらしい。いつも通りに過ごしたいと言う。まわりの人達は逃げるのに必死だろうから、街には誰もいないと仮定して、誰もいない道を歩いて、誰もいない大学に行く。いつも通り。でもいつもより少し素敵だと思う。
上京してきて早いものでもう八月になる。相も変わらず東京は人だらけだ。地元に比べて実際の気温も高いのに、それでいて知らない人が街には密集してるのだから暑苦しいったらありゃしない。それでいて都会特有の冷たさがある。
そんな暑苦しくも冷たい空気が張り詰めた人混みにいると、みんな消えてくんないかなとも思う。
眉間にしわを寄せて苛立つ婦人、急かされてるようなサラリーマン、他人の悪口で盛り上がる女子高生、馬鹿みたいに騒ぐ若い男たち。
こいつらは自己保身のために生きているし、自分の快楽にしか興味がない。
もし、ここで急に世界が終わることになったら彼らはどんな風に発狂するんだろうなんて考える。それでこんな下らない人間になりたくないなって嫌悪する。
しかし、皮肉なことに、かくいう自分も周りと大差ないことに気づく。
僕は世界が基本的に好きではない。まれに悪くないなと思うこともあるけれど、常に僕は世界に蝕まれてる(と思ってる)。
ある近代哲学者は世界は認識のうえで成り立っているので、自己を取り巻いているのではなく認識下に、自己の内部に世界が存在しているといっていた。もしそうなら僕の世界嫌いは自己嫌悪の裏返しなのかもしれない。
話は変わって、今夏の熱さは異常だ。友人は世界滅亡前の兆候なんて言っていたけどあながち間違いではない気がする。実は本当に少しずつ狂ってきているのかもしれない。そうならいいのに。それでも相変わらず僕らの生活は続く。いつもと同じように電車に揺られ、いつも同じように大学に行き、いつもと同じように教室の隅に座り、いつもと同じように時間が過ぎていく。その繰り返しの中で、僕は僕を取り巻くものたちに嫌気を感じながらも仕方ないと受け入れて、また元の周回軌道に戻る。流石にそうなると終末論なんかに惚れ惚れしてしまう。
最初に世界が終わるなら〜ということで、スピッツの「青い車」をBGMにしたいなんて言ったけれどこの曲、僕が特に大好きな曲だ。
歌詞がいい。この曲は「男女の心中」をテーマにした歌だ〜とかあーだこーだ考察してる人が多いが、そんなことはどうでも良くて、僕はこの永遠に続くような生活の中の答え、というか一つの理想郷のように思ってる。サビで
君の青い車で海へ行こう
おいてきた何かを見に行こう
もう何も恐れないよ Oh…
そして輪廻の果てに飛び降りよう
終わりなき夢に落ちて行こう
今変わっていくよ
と歌っている。ここであーだこーだ考察する気はないし、色々と解釈の仕方のある曲なんだろう。それはおいといて、僕も永遠に続くような繰り返しの生活に飽きてきているので、シャツを着替えて出かけたい。僕を取り巻く全てを投げ捨てて、おいてきた何かを見に行きたいし、輪廻の果てに飛び取りたい。 形は違っても、友人も僕もそういった自由のようなものを求めているのかもしれない。
僕らを取り巻く世界の終わり、あるいは僕らに内在する世界の終わり。そしてしがらみだらけの輪廻の終わり。
平成最後の三ツ矢サイダー
僕の家には冷蔵庫がない。
上京するときに買っておくべきだったのに、その時何故か「無くても困らないだろう」という考えに至り、冷蔵庫無しで新生活4ヶ月目を迎えてしまった。
ところが気がついたらもう東京は夏だ。茹だるような暑さと張り付いたシャツにイライラしつつ、どこか爽やかさを感じる季節。暑いのはとても嫌いだけど、夏はそんなに嫌いじゃない。特別な季節だと思う。夏には特別な瞬間がたくさんある。例えば、炎天下の中で歩き疲れて、頭の悪いほど冷房の効いたコンビニに入った瞬間とか、誰もいない午後三時の駅のホームでセブンティーンアイスを食べる瞬間とか。特に僕が幸せを感じるのが、暑い中、帰宅してすぐにキンキンに冷えた三ツ矢サイダーを飲む瞬間だ。
しかし、残念なことに今家には三ツ矢サイダーをキンキンに冷やしてくれる冷蔵庫がない。だから帰ってきて机の上に置いてある三ツ矢サイダーを飲んでも、最悪だ。生ぬるくて、炭酸も抜けて、三ツ矢サイダーを三ツ矢サイダーたらしめている良さが一つもない。そんなのを飲み干すと、どうもやるせない気持ちが残る。酷いときは今までの人生すら思い詰める。
思えば、生ぬるいサイダーを飲み干すような感覚でここまで生きてきた。
僕はそろそろ19になる。平成だって今年で終わる。1999年というノストラダムス先生が世界滅亡を予言した年に生まれ、平成最後の年にラストティーンエイジを過ごす僕のここまではどんなものだったろうか、と思い返してみても大して華やかではないことに気づく。やるせなさを感じるほど平凡。ときどき夢を描いても、何かが起こったためしはない。結局僕が生まれても世界は滅びることなく、時間だけが経っていったし、きっと平成もなんてことなく過ぎ去っていくんだろう。
惰性と受容と諦観でここまで辿り着いた。相変わらず。それでも何か起こるんじゃないか、変わるんじゃないかって期待してる自分がいる。大学に入って退屈な大人になったかと思ったけど、まだティーンエイジ精神は残ってるみたい。と言ったところで何もしなけければ、今まで通り何も変わらないわけで。ただ大それたことは思いつかないが、せめて、この卓上に気だるそうに立っている生ぬるい三ツ矢サイダーを冷やすことぐらいはできるんじゃないかって思う。だから明日は、まだ行ったことのない隣町へ、冷蔵庫でも探しに行こうと決めた。